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ゼロから学ぶハリウッドストーリー創作講座  作者: 森本純輝
序章 ストーリーとは
11/20

3 なぜ、ストーリーは変化であると言えるのか

前回お話した「変化を構成する『問題提起』」の記事は、一見すると私の中では一貫した内容になっているはずなのだが、読者からすると非常に理解しづらい部分があったと個人的に判断した。

そのためもう一度この記事を改めて見直して、もっと読者に分かりやすく解説していこうかと思う。

理解しづらい箇所があれば、コメント等にて質問頂ければ嚙み砕いて説明させて頂くので、いつでも投稿頂ければと思う次第である。


とはいえ、先の記事ですでに述べたように「ストーリーとは変化である」という定義には、それを構成する「問題提起」以前にストーリー=変化という式が成り立つための根拠が必要になる、と考えるに至った。

つまり、「なぜ、ストーリーは変化であると言えるのか?」という問いを提示し、それを掘り下げていく工程を読者に説明することが必要と考えたためである。


なぜなら、この式が成り立つ理由を理解することで、変化を構成する「問題提起」を投げかける意味も理解できるようにするためである。つまり、この「なぜ、ストーリーは変化であると言えるのか?」という根拠を知ることで、ストーリーを作るには最終的に問題提起という作業工程が必要不可欠であるということを読者に理解してもらうことを目的としている。その理解は今後ストーリーを作る上で度々直面するであろう創作の行き詰まりをうまく解消していくための一つの方法あるいは手段として創作を手助けする機能も持つ。


とは言うものの、この「ストーリー=変化である」という図式がいかにして成立するのかということは、前回の記事ですでに述べた。

ではなぜ、すでに答えた内容をもう一度反芻するのかというと、やはりというか、私の文章では読解に頭を使う文脈が多いと判断したためであり、表現がかなり入り組んでいるからだという認識のもとに、よく理解してもらうための解説が必要だと判断したためであるのだ。


本記事ではそれらをもう一度おさらいすると共に、ストーリーが成立するために必要な問題提起は前回の記事のどこに帰結するのか、という意味をはらんだ上での「なぜ、ストーリーは変化であると言えるのか」といった項目に着目していきたいと考えた。

混乱することのないように、前回の記事と重複した箇所を盛り込むつもりなので、すでに理解されている方にはもどかしさを感じるかもしれないが、どうか、復習だと思って最後まで完読して頂ければ幸いに思う次第である。

とはいえ、復習の箇所は少ししか反復せず、実際にはその反復箇所を一気に発展させて「ストーリー=変化」の一番本質的な部分を例を使って証明し、その証明によって先ほどの「なぜ、ストーリーは変化であると言えるのか?」という問いへの答えに一気に辿り着こうと思っている。それによって根幹の本質的な部分を掴んでもらい、問題提起に関する帰結へと向かわせる、といったスタンスにするつもりだ。


では、「ストーリー=変化という図式が成り立つ根拠」のおさらいからいこう。

前回の記事では、「何かしらの目的や到達点があるために変化する必要性が生じる」といった内容を書いた。その「必要性」は蓋然的であり、予め想定された、ある程度確かであろう結末が約束されているからだ、という内容だった。

実はこの「蓋然」というワードを掘り下げていくとよくわかることがある。

「ある程度確かであろう結末が約束されている」という意味での蓋然には(そもそもこの言葉の意味自体が必要な要素として関連づけている)原因と結果の二つの要素が予め結びついているニュアンスも併せ持っていることは特筆すべき点である。

「ある程度確かである」ということは、それ以前の何らかの(ことわり)に程度の差はあれ、確実性に基づいている結果が得られるということだからだ。つまり、この表現がある時点で「原因」と「結果」という二つの要素が予めニュアンス的に含有されているのだ。

そのような意味が「蓋然」というワードに含まれているということは、「変化」という言葉一つとってみてもほぼ同じ意味をはらんでいることは至極納得がいくと思われる。

ここでいう「変化」の本質が「蓋然」であるとするなら、その内部に含まれる「原因」と「結果」にはさらにどんな意味を持たせることができるのか?

それこそが「ストーリー=変化」という図式が成立する根拠を理解するための、一番中枢にある根源的な問いになる。

この場合における「原因」と「結果」には何らかの関連性があることは以前に明記したはずである。例えば「湖」と「海」で例えるならば「水」という一つのテーマ性があるように、たとえ全く前後で違った内容を持っていたとしてもある程度明確な一体化した「お題」があるはずなのだ。

ということは、二つの異なった要素を持ちながらも一つの一貫した統一された要素を全体として受け持っているということであり、それは別の表現でいうなら「ゴム」になぞらえることもできる。

ゴムは収縮する性質をもとにある一点から別の一点に向けて、それ自体の性質を(形状は変われど)保ち続けながら移動あるいは引き延ばすことが可能になる。この性質をうまく使って二点を固定させておいて、始めにあった地点だけを放してやるとゴムは瞬時に別の地点へと収縮し(引き戻され)、同じ性質は持てども場所的には違った地点へと移動したことと同じになる。

この「地点」にもしも、色がついていたとしたらどうであろうか。

例えば極端な話、黒板につけた赤と青で書かれたチョークの点の上にゴムを二か所引き付けておき、仮に赤の地点を放してやるとその端は青の方へと瞬時に引き戻される。この時、(実際上はうまくいかないにしても)もし仮にそのゴムに赤でついたチョークが付着したものが戻された青に混じったらどうなるだろうか?

便宜上、簡単な結論を導き出すと、それは赤と青の要素を持った「紫」になる。一つの固体でありながら同時に二つの要素も併せ持っている、そんな性質を持ったものへと化す。これを先ほどの「水」という例に照らし合わせるとするなら、紫という「色」のテーマ性を持っていることと同義になる。

テーマ性があるということは、「赤」という放した原因と「青」という収縮した結果を持ちつつ、「紫」という全く別ものに「変化」した「原因と結果というプロセス」として、れっきとした一連性と一貫性をもってその流れが証明された、ということだ。

「流れが証明された」とは、すなわち「何らかの決着あるいは落ち着いた帰着点が存在する」ということであり、それは「答え」あるいは「解」を生み出すこととも同義である。数学ではないが、「証明」とは「解を求める行為」であるからだ。


ここまで来て、一番本質的な部分を伝えるとするなら、それは一体何なのか?

何らかの理を証明するためには問題という「疑問符」を作る必要があり、その問題を作るためにはその元となる一番最初の要素が予め存在していなければならない。その要素をここでは「原因と結果」に区切って一つから二つに分けるとするならば、その二つは互いに異なる性質を有している「必要」がある。その「違うことの必要性」がなければ原因と結果にはなりえないし、そもそも同質のものでは、異質の、つまり、これまでとは違った「色」すなわち「解」を求めることができないからだ。

それを起こすためには何が必要なのか?

それこそが「問題提起」であり、問題を作ってそれを自ら解決していくことでそれが「証明」となり、その「証明」が結果という「答え」を導き出すのだ。

ということは、ストーリーの一番本質的な部分とは「自作自演」で構成された一つの「因数分解」なわけだ。

「問題提起」を行う真の意味はまさにと言っていいほどにここに辿り着くためにある。いわば「帰結」である。

つまるところ、「ストーリー=変化」であると言える所以とは、「元々一つだったものが二つに分かれて変化というプロセスを経た後に全く別の性質を持ったものとして置き換わること」と説明することができるのだ。だから「ストーリーは変化である」と言いたいわけなのだ。

数学上では因数分解は「方程式という別のプロセスを辿って元の答えに帰着すること」を意味すると思うが、これがストーリーでは「色」が変化するという「変換」が起こりうる。(まあ、A=B、A=CならB=Cという、別の解の証明を得る性質こそが数学上の方程式のようなものだと思うが、私は数学者ではないので、そのあたりの細密さについては割愛させて頂く)


ただ、ここで重要なのは、ストーリーは数学と違って自ら問題提起を引き起こすという「自作自演」の要素を持っていることである。数学は予め設定された規定の道程があるはずだが、その道程という「プロセス」が、つまり、「その道がどのように変化するのか?」という点に関しては全て自身で編み出す必要がある。だから「自作自演」なのであり、自ら演じるということはそこに登場するありとあらゆる全てを自身の力で創造しなければならない、ということを言いたいのだ。映画でも劇でも小説でも、その性質が「ストーリー」である以上、そんなあまりにも膨大な創作量を何の準備運動もなくいきなり執筆に入るのは、いくらなんでも無理難題な行為というものでもある。非常に多くの要素を抱え込むストーリー作りだからこそ、創作には予めプロットという「計画」が必要不可欠であると「はじめに」で強調したのはそのためでもあるのだ。


ここまで、本記事が「帰結」したことを受けて、次回は、では「実際にストーリーで何を問題提起とするのか」といった表題に迫っていこうと思う。

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