2 変化を構成する「問題提起」
ストーリーを「変化」と定義づけることができたのならば、その「変化」はどのようにして生じるのだろうか?
それが今回の「問題提起」である。
「問題提起」の意味を明記しておくと、「問題や課題を解決すべき事項として投げかけること」であり、また「議論を行うためのたたき台として、疑問を投じること」である(weblio辞書を引用)。
これになぞらえて先ほどの質問に当てはめると、「なぜその変化が起きるのか?」あるいは「なぜその変化が生じる必要があるのか?」という疑問に置き換えることができる。
つまり、変化が起きる理由を答えとして導き出すための問いとして投げかけるのである。
これがストーリーが発生するために不可欠な「問題提起」であり、変化が起きる必要性を見つけるための答え探しとしての出発点である。この問題提起をすることによって初めてストーリーという「一連の出来事の流れ」つまり「プロセス」が生まれる。
なぜならストーリー、つまり「変化」は必要性なくして起きることはないからである。何かしらの目的や到達点があるために「変化する必要性」が生じるのである。つまり、「必要だから変化する」のである。この目的や到達点を見つける作業こそが「問題提起」であり、そこから得た答えが「ストーリー」を生じさせるのだ。
なぜ、「変化」というプロセスに必要性が生じなければならないのか?
「変化」とは先ほど申し上げた通り、以前にはなかった要素に新たな要素を付け加えることで全く別の要素に置き換わることを意味する。それはつまり、始めの要素にはそれが存在する上で欠けていたものがあり、その欠けていたものを埋めるために外部からの要因を必要とするからなのだ。あるいはその始めの要素が変わるための目的や到達点が生まれ、それを実現するために持っていない「必要な」要素を取り入れる必然が生じるからなのだ。つまり、「原因」が不可欠なのである。この「原因」が必然という「必要性」を生み出すのだ。
では先に挙げた問題提起、「なぜその変化が起きるのか?」という問いによって得られる答えとは何か?
正解を先に述べることもできるが、その正解の前に今言述した「変化には必要性が生じる」ということに関してもう少し掘り下げて考えてみよう。変化に必要な「原因」がどこからどのように生じるのか?という問いを投げかけることによって得られる解がその答えの片鱗を見やすくしてくれる。
実はその問いに関する解はすでに述べてある。先ほどの文章をもう一度読み返してもらうと分かるのだが、「変化する必要性」が生じるのは、ストーリー上における何かしらの「目的」や「到達点」があるためである。
このブログでは重要なワードには「」を入れることが多いのだが、先ほどあった目的と到達点に「」を入れなかったのは、前の文章は「変化する必要性」が「原因」であることを中心的に書いていたからである。その文脈の時点ではまだ重要度を示さないこの二つのワードに「」をつけることで何が本当に重要な内容なのか読者がこんがらがってしまわないようにするためである。それと同時にこの文章へと内容を引き継ぐための布石として機能させるためである。
これを読んでむしろ「あれ?」と思われたかもしれない。
先ほど「変化する必要性」とは「原因」である、と述べたのになぜ新たに「目的」や「到達点」というワードが出てくるのか?
そう感じたあなたは鋭い。
これには繋がりがある。
実は変化に必要な「原因」がどこからどのように生じるのか?という問いに対する解こそはまさにこの二つのワードであったからだ。そう、「原因」が生じるのはこの「目的」や「到達点」があるからであり、よってこれらと「原因」というワードは符合するのだ。だから先ほどの「変化する必要性」は「原因」であると同時に「目的」や「到達点」とも記したのだ。「解はすでに述べてある」と書いたのも重要ワードが重複しないように図らった部分もあるが、一つ一つの言葉から生み出される文脈の前後から内容の根拠をよく理解してもらうために意図したこともあるためだ。
なぜ、これらが符合するのか?
ここで一度、「原因」、「目的」と「到達点」の三つのワードの意味を定義しておこう。
原因とは何らかの事象を発生させる引き金あるいはそれを誘発する要因となるものを意味し、ここでの事象とは「出来事の連なり」である「ストーリー」のことを指す。ならば「ストーリー」を起こす「原因」とは何かとなると、「目的」や「到達点」であるということはすでに述べた通りである。そして、それには「必要性」があるからだとも述べた。
では、「目的」や「到達点」が必然だとすると何がそれらを必要たらしめるものにするのだろうか?
ここでこの二つのワードを定義すると、「目的」とは何らかの事を実現させたい願望や動機によって生まれる、進むべき方向のことであり、「到達点」とはそういった目的などによって最終的に辿り着く終着点、ゴールのことを指す。
これらの意味を踏まえた時に、このワードたちにはすでに何らかの含みがあることに気づく方もいるかもしれない。
それはここでの定義における「目的」や「到達点」の意味が成立するために予め「必要性」がニュアンス的に含有されていることである。
理由のない「目的」は存在しないし、根拠がない「到達点」も存在しない。それらには始めから何らかの「こうなったからこうなる」あるいは「こうだからこうする」という、原因に基づく蓋然性があるはずである。蓋然とは「ある事が実際に起こるか否か、ある程度確かであること」を意味する(weblio辞書を参照)。つまり、ここでは原因が「目的」や「到達点」へと結果的に導かれることである。
これらがそのような性質を持つことを運命づけられている以上、どうしても「原因」と「目的」や「到達点」が切っても切り離せない関係にある、その意味でこれらは符合するということをここでは述べたいのだ。
そうであるとするなら、「原因」という始めの起点は「目的」や「到達点」であるのだから、それ以上の要因はないのではないか?と考える方もいるかもしれない。
このような表現をすると、一見「目的」や「到達点」が答えであるような気もするかもしれないが、そうであれば「目的」や「到達点」は何から生まれるのか?という更なる疑問が湧いてくる。
前回は記事を二つに分けた、とお伝えしたが、もう少し分けて解説してみようと思う。




