エピローグ
エピローグ
「・・・全てのソ連軍が降伏し、第二次世界大戦は終わった」
と、薄いカーテン越しに朝焼けを迎えたワンルームアパートに、キーボードの乾いたタップ音が響いた。
それから、しばらく沈黙が続いた。
江涼富家がレポートを書き上げた達成感で幾ばくかの間、自失していたためである。
江涼はのろのろと徹夜明けの水分が不足した目を凝らし、書きあがった歴史学のレポートを見返した。
誤字脱字はあとでAIチェックに放り込むとしても、とりあえずレポートの体裁は整ったといえる状態となっていた。
「終わった・・・」
3か月に渡った資料収集と読み込み、そして、迫りくるレポート提出期限との戦いは江涼の勝利によって終わったのである。
安堵のあまり、そのまま江涼は意識を失いそうになった。
何しろ、3日ほど寝ていないのである。
二十歳を迎えたばかりの大学生であっても、72時間連続稼働はしんどい。
しかし、江涼に安息の時は訪れなかった。
「おっはよー!とみちゃん!」
やたらテンションと音程が高い声が、遠慮という言葉を吹き飛ばすように飛び込んできた。
「もう朝ごはん食べた?わたしまだなんだー、だからちゃっちゃち作っちゃねー」
慎みという言葉を蹴散らしながら、ずかずかと他人の部屋に上がりこみ朝食の支度を始めようとする須藤花を見て江涼はうめいた。
元気というノン耐久消費財に命をかけている須藤が、江涼は苦手だったのだ。
しかし、邪険することはできなかった。
須藤の両親には、小さい頃からいろいろと世話になっているからだ。
それに昔の須藤は、こうではなかった。
江涼が生まれ育った沿海州の浦塩市で、一緒に小学校に通っていたころの須藤は、気弱な大人しい子で、自分が遊びに誘わなければ家でじっと本を読んでいるような子だった。
一歳年下の須藤を江涼は妹のように可愛がったものだった。
あのころの彼女は、下着が見えそうでみえないホットパンツやタンクトップ、ピンク色の髪が似合う機動力のある地雷原のような女ではなかったはずなのだ。
「あー、もうお醤油がないから、買ってきてねー」
八本の手足を使って、器用に二人分の朝食をつくる須藤を見て、江涼はどうしてそういうところだけは、昔のままなのか不思議に思った。
江涼が知る限り、竜宮人は無意識に親しくなった人間の趣味嗜好にあわせた外見を整えるはずなので、今、須藤が付き合っている男はそういう趣味の持ち主のはずだった。
どう考えても焼き魚を朝食に出されて喜びそうにはない。
ちなみに江涼は多少、自己認識に甘いところがあった。
「どうしたの?食べないの?冷めちゃうよ」
不思議そうに見てくる須藤に促されて、江涼は箸をとった。
ちなみに江涼は朝食のおかずといえば焼き魚だと信じており、焼きあがったホッケの香りから故郷の海を想うところだった。
内地の大学に進学してからは、これぐらいしか故郷を意識するものがない。
1946年に結ばれた講和条約で、帝国に割譲されて70年以上が経過し、日竜化が進んだ沿海州であっても、内地の東海地方とはあまりにも文化・生活環境が違った。
江涼が故郷を思って物思いにふけっていると、
「今日は日曜日です。だからとみ君には、花ちゃんを遊びに連れていく義務があります」
などと須藤が妙なことを言い始めた。
「そんな義務はない」
「なんでぇぇぇぇぇ!!??」
と須藤が絶叫したので、江涼は大日本帝国憲法下において国民の義務は納税と兵役の義務しかないことを説明しようとして止めた。
無意味だからだ。
「いい?今日は日曜日だよ?安息日だよ?神様もお休みなさいの日だよ?」
「俺はキリスト教じゃないから」
「わたしだってそうだよ!」
ちなみに竜宮人のキリスト教徒は極めて珍しい。
ただし、シスターのコスプレをしている竜宮人なら山ほどいる。
そのため竜宮人はしばしば宗教の上の理由から弾圧の対象なり、キリスト教原理主義者からテロリズムの対象となるほどだった。
「俺は徹夜でレポートを仕上げたばかりなんだ。眠いんだ、分かるか?”休憩”が必要なんだ」
別の意味で頭痛がしてきた江涼は、幼児をあやすように言った。
そもそも睡眠時間を削らなければいけないほどレポートが遅れている理由の大半が、須藤が毎日ようにやってきてレポート作成を妨害しているためだった。
「そう・・・なんだ」
急に打ちひしがれたように須藤が答えたので、江涼は一瞬だけ罪悪感にとらわれた。
一瞬だけだったのは、そそくさと須藤が江涼のベッドにもぐりこみ、期待に満ちた視線を送ってきたからだ。
なぜそうなるのか、江涼にはさっぱり分からなかった。
ちなみに竜宮人の常識では、”休憩”とは、性交を目的とした休息施設の利用を意味する。或いは、それに準じた場所でも性交という場合もある。
そうした常識を江涼も日本人として当然のように理解していたが、須藤と接するときはその常識は常識として機能しなかった。
江涼は須藤花を妹のように愛しており、まことに奇妙なことであるが、それ以外の印象を決して抱こうとはしないのだった。
「・・・でかけるぞ」
ため息をついて、江涼はそう言った。
春の日曜日を迎えた東海地方の天気は快晴だった。
地球温暖化を感じさせる陽気を切り裂いて、日竜航空宇宙軍第101輸送隊に所属する4発ターボプロップ輸送機が離陸した。
短距離離着陸能力を重視して、上翼面にエンジンを配置したユニークな形式の大型機は、その能力を存分に発揮していた。
しかし、まばらな観客の反応は今一つだった。
観客の大半が地元の人間だったからだ。
彼らにとって、それは日常的な見慣れたものに過ぎなかった。
『ただいま離陸したのは、第101輸送隊の24式輸送機です』
エンジンの爆音からだいぶ遅れて、少しひび割れたスピィーカーから、のんびりとした司会者のアナウンスが響いた。
それを聞く方も、似たような雰囲気だった。
細かい説明などよりも観客は基地内の芝生や格納庫前に広げたピクニックシートで、家族のために弁当を広げる方が忙しいようだった。
航空宇宙軍小牧基地のオープンベースとは、例年そのような雰囲気の催しだった。
大人気のアクロバットチーム(ドラゴン・ナイツ)が来ないため、人が集まらないことも大きかった。
「どう?たまには、いいでしょ?」
なぜかドヤ顔で須藤は言った。
「そうだな」
特に意味もなく同意して、江涼は出店で売っていた饅頭をかじった。
『撃』と焼き印が押された物騒な見た目の饅頭だったが、味はいたって普通のこしあんだった。
飛行機が見たいという須藤に連れてこられたのが空軍基地だったことに驚いた江涼だったが、気安い空気だったのですぐに順応していた。
「江涼くん、食べかすがついているよ」
ひょいと江涼の口もとから饅頭のカスを摘まみ上げたワン・シィンは、そのままそれを口に運んだ。
「おお、悪い」
「なに、君と私の仲じゃないか」
ワンはなんてことないように言って、眼鏡のフレームをくいとあげた。
ただそれだけのことだったが、身長180cmを超えるモデル体型で行う場合は些か意味合いが違った。
実に様になるのだ。
さらに同学部の首席の才媛でもあり、ワンは江涼にとって自慢の友人だった。
ちなみに竜宮人は生得的に近眼が存在しないため、眼鏡は基本的に伊達である。
また、竜宮人にとっての伊達眼鏡とは主に性的嗜好品を意味する。
ワン・シィンは江涼にとって内地留学でできた初めての友人だった。
ただし、その出会いは些かしまらないものだった。
名古屋の市営地下鉄で誤って竜宮人専用車両に乗り込んでしまった江涼が痴漢に遭っているところを助けて貰ったのである。
浦塩市の路面電車でも痴漢に遭ったことはあるが、500万人都市のラッシュアワーで遭遇した痴漢は規模が違った。
痴漢グループに集団で襲われたのである。
もちろん、竜宮人専用車両に誤って乗り込むという江涼にも落ち度はあったのだが、初めて都会の洗礼を浴びて硬直していた江涼にはそのことが分からなかった。
『射精したから痴漢じゃない。和姦です!』
と主張する悪質な痴漢グループだった。
駅舎のトイレに連れ込まれそうになったとき、ワンが間に割って入ってくれなかったらと想像すると、江涼はそのたびに背筋が寒くなる。
その後、同じ大学の同期であることが判明し、それからワンが電車通学する江涼のボディーガードを買って出たことから友情が始まった。
ワンと電車通学するようになってから痴漢被害にあったことはない。
江涼の体に巻きつけられた彼女の触手は鉄壁の防壁と言えた。
たまに距離が近すぎると思うこともあるが、
「今日は混んでいるから我慢してくれ」
と言われては是非もなかった。
須藤が発狂してボディーガードを買って出てことがあったが、速攻で性欲に負けて痴漢しようとしたので初日で解雇された。
「あちらには、戦闘機の展示があるみたいだね、行ってみないか」
「ああ、そうだな」
最寄りの駅で、偶然会ったワンも今日はオープンベースにいく予定と言った。
3人で行くことに、須藤は全力で反対して発狂したが、江涼はとりあわなかった。
よくあることだったからだ。
本当になぜかよくあることだった。
統計学的観点からいって、江涼と須藤とワンが鉢合わせになる回数は、偶然というには有意に多すぎるのだが、江涼はそのことに気が付いていなかった。
江涼には、かなり自己認識に甘いところがあった。
「シィンが、こういうことに興味があるとは知らなかった」
「私の親族には、軍人も多いからね」
「さすが満州王国の華族様は言うことが違うな」
それほどでもないさと、ワンは満更でもなさそうに言った。
日竜で華族制度は廃止されて久しいが、満州王国では華族制度は未だに現役である。
清朝時代から皇帝に仕えてきた清朝の貴族層がそのまま華族となり、満州王国の政治経済の枢要にいた。
ちなみに本人は竜宮人の血が入った分家の末端の出がらしということだった。
分家の末端の出がらしでも、学生アパートとして新品の3LDKのマンションを用意できるのなら、本家はどんな生活をしているのか江涼には想像もつかない。
ちなみに江涼は、部屋が余っているからとワンからルームシェアを提案されたことがあった。
しかし、須藤が本格的に発狂したため、沙汰闇となった。
「あー、そうですねー、貴族様はいうことが違いますもねー」
江涼に八本足を絡めながら須藤は言った。
「おい、歩きづらいだろ」
「だって、疲れたんだもん」
しょうがない奴だと江涼はされるがままにした。
妹分のこうした我儘を江涼が拒否することはあまりなかった。
幼年期から繰り返されたことであるため、それは江涼にとって完全に条件付けされた反応になっていた。
パンツの隙間に入ろうした触手は、容赦なく捻り上げて摘まみだしたが。
「あぁ、私も少し疲れたなぁ、足が吊ってしまうかもしれないなぁー」
明後日の方向を向いてワンは言った。
とても見せられる顔をしてないためである。
偶然、その顔を見てしまった罪のない通行人が、恐怖に慄くことになった。
ワンの血統は満州貴族のそれだが、それだけで良い暮らしができる時代は満州王国でさえ終わっており、貴族然とした生活を営むには、相応の収入を得るための家業が必要だった。
具体的には、向精神薬の原材料の販売などである。
「そうか、なら、どこかベンチでも探すか?」
「うーん、そうだな・・・」
落ち着けられる場所を探して、3人は戦闘機の展示スペースにやってきた。
展示スペースと言っても、格納庫に1機だけ駐機しているだけだった。
展示機も見慣れた機体で、80年代に制式採用された三七式戦闘機しかなかった。
三七式戦闘機は、海援隊の有力企業であるハインケル社送り出した世界初の実用ステルス制空戦闘機で、He2190(ウーフー)の名で知られる。
完成した当初は、航空支配戦闘機などと呼ばれたこともあった。
今でもその座は揺らいでいないと言われており、ステルス性に加えて高い運動性能と超音速巡行能力を誇っている。
よりコストパフォーマンスに優れたノースロップ社の三〇式戦闘攻撃機に数的主力の座は譲ったが、それでも1,000機前後が生産された。
欧亜冷戦中に、欧州連合が最後までステルス戦闘機を実用化できなかったことを考えると彼我の技術格差は歴然としていた。
しかし、そうした背景などが、格納庫に置かれた機体から伝わるものではなかった。
機体の前に並べられたパネルも説明文は定型的なもので、やる気のないものだった。
展示スペースにそれなりに人がいたのは、格納庫が直射日光をさえぎるため、過ごしやすいという意味が強かった。
同じ理由で、格納庫前のエプロンに並べられた巨人輸送機の翼下には人が集まり、初夏の日差しから逃れようとしていた。
ノースロップ社が威信をかけて開発した世界最大の全翼式戦略輸送機は、その巨大な機体をもっぱら家族連れの日除けに使われていた。
40式戦略輸送機は50tある主力戦車はもとより、空中発射弾道ミサイル(スカイボルトMk6)の母機としても使用できる巨人機で、その異形から外国の航空ファンからの人気のある機体だった。
しかし、地元民には見慣れた風景の一部に過ぎなかった。
小牧飛行場に併設されたノースロップ社の工場は、冷戦中は空中発射弾道ミサイル(スカイボルト)の組み立て工場だった。
ミサイルが完成するとデリバリーのために飛来する四〇式輸送機は、地元民にとってはちょっと変わった形の飛行機の一つに過ぎなかった。
冷戦が終わった後は、同じ技術で作られた小型衛星用ロケットの生産工場となっていた。
「座るなら、あそこがいいな」
ワンが指さす方向には、小奇麗に整備された公園のようなスペースがあった。
公園のように見えた場所は、実は慰霊の場所だった。
ただし、使われ方は公園のそれだった。
さすがに慰霊碑に弁当を載せてテーブル代わりにするような不埒者はいなかったが、そうなっていないのは、テーブルとして使うには背丈がありすぎたためである。
ただし、暇を持て余した子供から遊具の代わりに使われることは阻止できていなかった。
「どうやら、これは第二次大戦時のものらしいね」
ワンが黒御影石に刻まれた氏名を目で追って言った。
日竜が言葉通りの意味で世界を敵に回して戦った大戦争だけあって、慰霊碑の中では最も大きなものだった。
その中心には、龍宮内親王の像があった。
その姿は向かい風に立つものであり、強風で着衣が乱れ、下着が露出していた。
ちなみに着衣の乱れや下着の露出は、竜宮人の建立する銅像においては定型詩のようなものであり、性的な意味を持たない。
第二次世界大戦で日竜を率いて米ソを打倒した龍宮内親王は、1966年に死去した。
最後まで摂政として国政を支配した龍宮内親王が死去すると昭和帝は親政を宣言した。
しかし、君臨すれど統治せずの原則を貫き、日竜は立憲君主制に復帰した。
次に大きなものは、1952年に勃発した北米三国戦争の石碑だった。
第二次世界大戦に敗北した合衆国は、終戦時に無政府状態となり、日竜占領下の西海岸と合衆国から分離独立した南部連合、北部同盟の3つに分裂した。
旧アメリカ合衆国の正当後継国家を自称する北部同盟が、統一大統領選挙を拒否した南部連合に侵攻して始まった北米大陸の大戦争は、日竜と欧州連合の介入を招いて5年も続いた。
最終的に日欧双方によって核爆弾3個(うち一つは水爆)が投下され戦争は終わったが、合衆国が統一国家に復帰することはなかった。
以後、対ソ戦で共闘関係にあった日欧は厳しく対立し、冷戦という時代区分が始まる。
「最近のもあるな」
と江涼は手をあわせる。
慰霊碑の中では最も小さいが、真新しい白亜の石碑には花が手向けられていた。
最近、誰かが供えていったものらしく、菊の花はやや萎れかけていた。
しかし、歴史になりかけているほかの慰霊碑とは明らかに異なる厳粛な雰囲気のせいか、白亜の石碑は子供の遊具になることを免れていた。
石碑に刻まれた戦没の地は、南コーカサスの山岳地帯となっていた。
「アルメニア戦争だな。満州国軍で勤務していた叔父も派遣された。キリスト教原理主義者は死を恐れず、嬉々として自爆する狂信者ばかりだそうだ」
「どうして、そんなことになってしまったんだろうな」
「欧州は経済が崩壊してしまったからな、底なしの貧困がテロの温床だと叔父は言っていた」
2000年9月11にキリスト教原理主義者が、羽田空港を飛び立った旅客機4機をハイジャックして、東京の国際展示場などに突入した自爆テロによって対テロ戦争が始まった。
東京国際展示場は、当日、『ドキ♡ドキ♡妹逆レイプ同人即売会』が開催されており、作家を含む6,000人以上の一般市民が犠牲となった。
後日、インターネット上で犯行声明を発表したキリスト教原理主義テログループは、犯行声明の中でアンチキリスト勢力の集会を破壊したことを謳いあげた。
なぜ妹逆レイプ同人即売会がアンチキリストになるのかは誰にもわからなかった。
その種のイベント開催は日竜では珍しくないことだからだ。
もちろん、妹と性交することも含めて、である。
国際テロ組織掃討のため、日竜は首謀者を匿ったアルメニアに侵攻した。
「泥沼の戦いだったらしいね」
「うん、そうだね」
ワンは江涼の見えないところで若干、腰をくねらせて答えた。
泥沼という単語は竜宮人にとって、やや性的な意味を帯びているからだ。
アルメニア戦争は10年に渡って続き、最終的に日竜の勝利に終わった。
戦いが、泥沼のゲリラ戦になったからである。
先進国の軍隊では例外的なことに日竜軍は殊の外、泥沼のゲリラ戦がを好んでいた。
第二次世界大戦において活躍したある将軍は、
『電撃戦のような戦いは、乾いたベッドの上でする性交のようなものである』
と述べている。
同じ理屈で冷戦後に起きたビルマ戦争でも、泥沼の戦いの末に日竜が勝利をおさめて、アジアから欧州勢力を完全に排除した。
なお、これは既知の事柄であるが、竜宮人の性交は主にバスルームで起きている。
大抵の場合、泥沼のようなことになるからだ。
ただし、近年は高性能な吸水性の素材(大型犬のペットシーツに使用されることもある)が廉価に出回ったことでベッドルームでの性交も増えている。
しかし、ベッドルームでの性交はバスルームでの性交よりも60%も満足度が低いという統計もあり、以前としてバスルームでの性交が重視されている。
「最近は、欧州にも移民と一緒にプラント船が入って、経済的にも立ち直りつつあるから、テロも減っていくだろう」
ワンの言っていることはおおむね事実だった。
欧州には日竜からの移民が殺到していた。
理由は単純で、日本列島が既に居住空間的に飽和状態だったからだ。
2025年時点で、日本列島だけで3億人(合計特殊出生率7)の人口を抱えていた。
1970年代以降に、政府は列島改造を推進し、大規模な土木工事を重ねて地方都市の再開発を進めたが、それでも3億人は多すぎた。
日竜が増えすぎた竜宮人を朝鮮半島や満州王国、戦後に獲得した沿海州に移民させるようになってから80年が過ぎていたが、そこでも人口過密となっていた。
世界人口80億人のうち20億人を竜宮人が占め、その7割が東アジアと環太平洋地域に集中している状態だった。
プラント船の貸与と抱き合わせの移民外交は、人口爆発に頭を抱える日竜がたどり着いた今のところ最もエレガントな解決方法だった。
プラント船とは、2000年代初頭に実用化された核融合炉とその燃料精製施設をメガフロートに据えた洋上複合施設である。
日竜と移民条約を結んだホスト国に無期限貸与される仕組みだが、管理運営は日竜の国策企業が実施し、ホスト国が得られるのは水よりも安い無限の電気とスチーム(熱源)である。
特に後者は、風呂場を清潔に保つために竜宮人にとっては重要な意味があった。
移民先でも竜宮人が快適な生活をおくるための仕組みだが、欧亜冷戦に敗れて経済が崩壊し、その後の長期低迷とその論理的な帰結による超少子高齢化社会を迎えていた瀕死の欧州連合にとって、竜宮移民と抱き合わせのプラント船貸与はあまりにも魅力的すぎた。
たとえ、それがエネルギー生産という国家の中枢が日竜の紐づけになるとして、でもある。
「向こうは差別とかひどいっていうけど、どうなんだろうね」
「重婚や、近親婚はホスト国によっては禁止されている場合もあるが、ちょっと理解できないな」
「兄妹とか親子でエッチ禁止とか、バカなんじゃないの?」
キリスト教系の文化には全く理解がない須藤が心底呆れた調子で言った。
竜宮人的な態度としては、極めて平均的なものだった。
そうした態度が反感を買っていることについて、竜宮人はあまり自覚がなかった。
なお、須藤の父親と母親は元は姉弟だった。
母親がランドセルを背負って帰宅した弟を見て年少性愛を自覚したのが、馴れ初めである。
「あー、でも、3人で結婚するのは嫌かなー?余計な人がいると気が散るし」
「奇遇だな、私もそう言おうと思っていたところだった。誰と結婚すれば幸せになれるか明らかなときに、わざわざ重婚するなど、愚かさの極みだ」
近親相姦とは異なり、重婚は竜宮人の中でも意見が割れる場合があった。
「そうだねー、誰と結婚すれば幸せなのかなんて、分かりきったことだよねー、とみ君?」
「そうだとも。考えることもないことだよね?江涼君?」
須藤とワンはにこやかに笑いあって同意を求めてきた。
謎の圧力を感じた江涼はとっさに、
「二人とも、あんがい仲がいいんだな」
と余計なことを言った。




