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親父娘の辞書に『乙女』の文字  作者: 三間 久士
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2・出会い(2)

「仲間じゃないです。

 悪友です悪友。

 人の失恋を肴にするんですから」


「お客さんが寂しくないように…」


「あ、違います違います。

 慰め会じゃないですよ。

 皆、私が何ヶ月付き合っているか掛けていたぐらいですから」


「掛けですか?」


 ミラー越しに、運転手の目が驚いているのが分かった。


「はい、掛けです。

 見事に一人勝ちしました。

 皆、一ヶ月とか、長くても半年しか続かないなんて掛けたから。

 今日は、配当金でタダ酒です」


「その…」


 チラッとバックミラー越しに視線が合った。


「二年です。

 二年付き合って、先月別れました。

 浮気されたから、振ったんです。

 思いっきり殴って」


 まぁ、それなりに楽しいかったし勉強もできた二年間ではあったから、無駄な時間だったとは思わない。

その二年間で職場の先輩と何回かナンパに行っていたのも知ってるし許していた。

けれど…


「彼女の後輩に、未遂でも手を出しちゃ、アウトだろうが」


「え?」


 殺気を含んだ低音の独り言は、幸運にも運転手の耳までは届いてなかった。


「いえ、何でもないです。

一ヶ月前に振って、昨日は振られたんです」


「え?」


「行きつけの本屋のお兄さん。

 好きって言うより憧れ? ですかね。

 なんせ、今だに名前も知らないんですから。

 … 五年も憧れてて、自分がフリーになったから、憧れから一歩進んでみようかなって食事に誘ってみたんですけど、玉砕しました。

 彼女さんがいるらしいです。

 ま、こんな私に彼氏が出来た事自体、皆驚きましたけど。

 本人含めて」


 そうだ、あの本屋のお兄さんは、名前すら知らないんだ。

目をつけて、五年も経つのに。

まぁしょせん、それだけの思いだったんだろうな。

本屋のお兄さんも、別れたアイツも。


「まぁ、お客さんはまだまだ若いから、これから素敵な人に沢山出会えますよ。

 おまたせしました」


 思い出して重くなった気持ちを、運転手の声が優しく包んでくれた気がした。

運転があまりにも丁寧で、声をかけられるまで止まったことに気が付かなかった。


「運転手さん… 工藤さん? ありがとうございます」


 今更だったけど、正面に飾ってある運転手情報をチェックした。


工藤(くどう)(あきら)・二十九歳』


 横に張り付いている顔写真は、さっき見た顔よりも丸かった。


「いえ、お礼を言うのは僕ですよ。

 お客さんが初めてなんです。

 僕が地図を出して道を確認した事に怒ったり、嫌味を言ったりしなかったのは。

 おっと… これは、内緒で」


 そう言って振り返った顔は、太い眉をハの字にして、情けないようにはにかんだ表情も熊っぽかった。


「怒る? 工藤さんはちゃんと道を確認しただけなのに? メーターだって、出発してからでしょ? 誤魔化したり、嘘をついた訳じゃないから、怒る理由なんてないです。

 むしろ、丁寧な運転で、乗り心地がとても良かったです」


「ありがとうございます」


 白い歯が見えた。

薄暗いタクシーの中なのに、その白さはいやに目立った。

ハッキリ言って、このまま下車してしまうのが、別れてしまうのが嫌だった。

名残惜しかった。


「工藤さん、これ」


 だから、代金と一緒に名刺を渡していた。


「『高橋(たかはし)・・・(さく)』さん?

 …いいんですか? 頂いちゃって」


「理容師です。

 一応、資格試験は受かったんですが、カットの腕はまだまだで。

 カットモデルを探しているんです。

 なので、良かったらカットモデルになってください。

 顔剃りの練習台にもなってくれると、嬉しいです。

 連絡、待っていますね」


 名刺を渡した途端、急に恥ずかしくなった。

別れたくなかったけれど、恥ずかしくて、お釣りも受け取らずにタクシーから下りて、目の前の店に飛び込んだ。


 心臓がドキドキしている。

顔もなんだか暑い気がする。

… 二日酔いじゃないことは確かだから、これがうわさに聞く一目惚れなのか?

本屋のお兄さんの時、こんなになったっけ?


 そんなことを考えながら飲んだ奢りの酒は、アルコールを感じることなく全然酔えなかった。




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