12・親父娘か乙女か(笹瀬一史という男)
5・親父娘か乙女か(笹瀬一史という男)
各自のオーダーの品が次々と並べられ、取り分けしようと頼んだ料理も来ると、テーブルに隙間がなくなった。
それを見て、さくちゃんは「いただきます」と、箸をセカセカと動かし始めた。
「あ、こないだの忘年会、飯うまかった?」
さくちゃんの食べっぷりは病み上がりとは思えないほど良く、航大は完全に引いていた。
「美味しかったわよ。
特に、餃子」
大島さんはそんなさくちゃんのお皿から、ウズラの卵を取って食べた。
「あ、あそこの餃子、たしかに美味しいね」
会話には参加するものの、航大はさくちゃんの食べっぷりに押されて、箸が動かないようだった。
「三上さん、合コンで餃子食べるんですか? 見かけ、滅茶苦茶ナイフとフークな感じなのに?」
そう言う大島さんは、早くも二本目のボトルだ。
もちろん、笹瀬君が当たり前のようにオーダーしていた。
「あの日は、アキに合わせたセッティング」
「「納得」」
食事をしながらも、会話と酒が進む。
僕とさくちゃんは食が進む。
「じゃぁ、新年会もあそこで。
俺も、その餃子食いたい」
言いながら、さくちゃんは自分と大島さん用に餃子を取り、そのうちの一個を素早く頬張った。
「え~、新年会は、小洒落たお店にしようと思ってるんだけど」
「だから、俺もあそこの餃子食いたいんだってば。
タイミングと財布的に、年内の外食は今日が最後だよ、きっと。
あ、部活の忘年会があった」
「そんなの知らないわよ。
あの日、帰っちゃった咲が悪いんでしょ。
あ、このチーズ美味しい」
大島さんは、当たり前のようにそのチーズを半分に割って、さくちゃんの取皿に乗せた。
「お前さぁ、今、それ蒸し返す? あ、ホントだ、うまい」
「サンキュ~」と短くお礼をして、不服そうな声を上げながら一口でチーズを頬張ると、ちょっと目尻が下って、ちょっと口の端が上がって、可愛い声に戻った。
「あの…」
それは、蚊の鳴くような声だった。
「なぁなぁ、これ、もう一回頼もう」
「じゃぁ、ついでにチリソースの方も頼んじゃおう」
「咲良… あのさ…」
その声は、誰にも届いてないようだった。
「体小さいのに、結構食べるね」
航大は、ようやくさくちゃんの食べっぷりに慣れてきたようだ。
「あの…」
「だから、体力勝負なんスよ」
「話を聞いてくれよ!」
今まで蚊の鳴くような声だったけれど、気がついてもらえないからか、笹瀬君が大きな涙声を上げた。
「さっきも言っただろう。
時間の無駄だし、せっかくの飯が不味くなる。
第一、なんで付いて来たんだよ」
すごく、低くて冷たい声と冷たい視線だった。
さくちゃんは箸を置き、代わりに何かを探すように右手が左右に動いた。
「あ、灰皿ね」
その手の動きにすぐに気がついて、笹瀬君はいつもしていたんだろう、慣れた感じに店員さんを呼ぼうと手を上げた。
「いらねぇ。
タバコはもう辞めた」
そんな笹瀬君を見て、ピタッとさくちゃんの右手が止まった。
「ってか、さっきまで熱出して寝込んでたんだから、吸えるわけねぇだろう」
「食欲は凄いけどな」と、航大の呟きと、「前は吸ってたじゃん」と言う笹瀬君の呟きは聞かなかったことにした。
「あ、あのさ、咲良…」
敵意剥き出しのさくちゃんの態度に、それでも笹瀬君はオズオズと食い下がった。
「お前に、その名前で呼ばれる筋合いはない」
「さく…」
「呼ぶな」
情けない声に、さくちゃんのよく冷えた低い声がピシャリと重なった。
「あのさぁ一史、咲が名前呼ばれるの嫌いなの、知ってるよね?
それでも、今まで名前を呼べていたのは、アンタが一応彼氏だったから。
今、呼ぶなって言われてるのは、もう彼氏じゃないから。
分かるでしょ? アンタは咲の名前を口にする権利を、自分から放棄したのよ」
大島さんに諭される様に言われ、笹瀬君は口を閉じた。
が、それは一瞬のことだった。
「ごめんなさい。
ボクが悪かったです~。
もう、合コンも行かない、ナンパもしない。
だから、もう一度やり直して欲しい!!」
勢いよく頭を下げて、笹瀬君は懇願した。