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親父娘の辞書に『乙女』の文字  作者: 三間 久士
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1・出会い

 1・出会い


 ― 今度、お食事に行きませんか?―


『言ったの?』


 スマートホンから直接耳を刺激する超音波は、夜のラッシュで賑わう駅改札のざわめきを瞬時にかき消して、夏の蒸し暑さからくる不快指数を上げた。


「煩えなぁ… 言ったし誘った。

 しかも、昨日」


『うそ! どうだった? どうなった?』


「だから、う・る・せ・え!」


 思わずスマートホンを耳から離して、そこから漏れる音に眉をしかめながら言い返した。けれど、すれ違う人達の邪魔になって嫌な顔をされ、慌てて元の体勢に戻った。


「今、駅。

 外だから、あんまでかい声出すなよ。

 お前の超音波から逃げらんねぇし、お前の声が耳から脳みそに刺さる。

 ただでさえくそ暑いのに、これ以上不快指数を上げんなよ」


 タクシー乗り場を目指して、改札の雑踏から逃げるように小走りに動き出した。


『ゴメンゴメン。

 でもさ、五年間も気になってたんでしょ? 彼氏が居ても、気になってたんでしょ?』


「あ~… そんなか? そうか、そんなだったっけ」


 言われて気がついた。

行きつけの本屋の店員が気になりだしたのが十五才の時だった。

近所に新しくオープンした本屋の店員さんに、俺は柄にもなく一目惚れしたんだった。


『で、どうだったの?行くの?』


 こういう反応をされると、女って、人の恋路がそんなに気になる生き物なんだな。

って、たまに思う。


「行かない。

 振られた」


『… ちょっと、どうやって声かけたのよ? シュチエーション、詳しく!』


 こっちがサラッと報告したのに、向こうは掘り下げてきた。


「だから、会計の時に…」


『思い出した! 昨日って、職場の飲み会だって前に言ってたわよね?

 何時? 何時に本屋に行ったの?』


 こっちの話に被せて、事情聴取が始まった。


「半分シャッター閉まってたから、十時過ぎかな」


『あら、珍しく早い』


「昼の十一時から飲んでた」


『あんたの店のスタッフって、暇なの? 休日にデートする相手がいない人の集まりなの? まぁ、そこはいいわ。

 で、お酒の匂いプンプンさせて誘ったわけね。

 どうせ、口元でエアーお猪口やったんでしょ? いつもみたいにお猪口で呑む素振りしながら、誘ったんでしょ?』


 呆れてる。

思いっきり呆れてる。

顔を見ないでも声で分かる。


「あのなぁ、俺、このまま部屋に帰ってもいいんだぜ? まだ、改札出たばっかなんだから」


『約束は守ってよね。

 第一、今日の飲みは(さく)の失恋記念飲み会なんだから、主役が居なきゃ駄目でしょう』


「失恋ごときで、落ち込んだりしないの知ってるだろう?」


『そんなの、知ってるわよ。

 咲の好きそうなお酒置いてあるお店探したんだから、早く来なさいよね』


 分かってる。

集まって呑む口実にされてるだけだって、分かってる。

まぁ、俺も同じ穴の狢だけれど。


「親切の押し売り、ありがとさん。

 とりあえず、タクシーで向かうから、じゃ」


返事を聞く前に通話を着ると、途端に、雑踏の中心に戻った。


「失恋ねぇ…」


 そんな恋愛は、まだしたことがない。

それが正解だ。

とりあえず、酒は有り難くいただこう。


 と、タクシー乗り場に向かいながら鞄からメモ用紙を取り出した。

ノートの端に書いたものを雑に切り取ったメモは、書かれている住所が今日の呑み会場なのだけれど、いつもとは逆方向にある店で、前もってスマートホンの地図で場所をチェックしても、全然検討がつかなかった。

 駅から、そんなに遠くはなさそうだけれど、迷って無駄な時間を使うならと、今夜は珍しくタクシーを選択した。

 特急が着いたのか、さらに人が多くなった。

流れも早くなって、それに乗り遅れて、後ろから来たサラリーマンと思いっきりぶつかってしまった。


「ごめんなさい。

 大丈夫ですか?」


 悪気はなかったのだろう。

サラリーマンは俺が落としたメモ用紙をサッと拾い、謝りながら渡してくれた。


「いえ、こちらこそ。

 拾っていただいて、ありがとうございます」


 お礼を言ってタクシー乗り場に急ぐと、待っていた一台は俺を押しのけるようにして前に出た三人のサラリーマンを乗せて出てしまった。

イラっとしたけれど、酒は逃げないと待つことに。

 五分もしないうちに次のタクシーが来た。


「すみません。

 ここにかいてある場所にお願いします」


 乗り込みながら、運転手にメモ用紙を渡した。

すると、運転手は車内のライトを付けて、何やらゴソゴソし始めた。


「… 運転手さん、ここいらは不慣れなの? カーナビは?」


 運転手が脇に広げたのは、大きな一冊の地図だった。


「すみません。

 運転には自信あるんですが、ここら辺はまだ覚えきれないうえに、機械、苦手なもので」


 すごく、優しい声だった。

低いけど、柔らかい声につられて、ちょっと身を乗り出して運転手を見た。


「運転手さん、大きいですね。

 ラガーマン?」


 運転席に何とか収まっているけれど、どう見ても窮屈だろう。

帽子から伸びた髪がもっさりと出ている運転手は、天井と頭との隙間がほとんどない。

薄いワイシャツの上からでもわかる位に全体的に筋肉質で胸板も厚くて、地図をなぞる指も筋張っていて太かった。


「よく、言われます。

 学生時代に少しだけですよ」


 そう言ってこっちを向いた顔は、帽子の下から圧縮されきれずにもっさりと出た前髪に、隠れきれない太い眉と、そのすぐ下につぶらな瞳があった。

がっしりした顔のラインと、大きくて厚めの唇。

その割には鼻は小ぶりだし、鼻筋が少し曲がっている。

産毛が(こく)って… ああ、可愛い熊だ。


「体大きいの、羨ましいです」


「そうですか? 僕はもう少し小さい方が… ああ、ここですね、分かりました」


 やばい、少し見とれた。

ニッコリ笑った顔が、とても可愛い。


「お時間とってしまって、すみません。

 お急ぎですか?」


 車内のライトを消して、シートベルトをし直した運転手の声が耳に心地よくって、もっと聞きたくて、柄にもなく話しかけていた。


「ああ、大丈夫です。

 仲間内の呑み会なんで」


「いいですね、仲間との呑み会」


 出しますね。

と言って、運転手はとってもスムーズに車を発進させた。



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