のっけから大ピンチ
「くっそ、なんで俺たちがこんな目に……!」
「本当ですね!」
ふたりは薄暗く足場の悪い山の中を走って逃げていた。小柄な男と細身の女、どちらも黒髪の日本人だった。
「すばしっこい奴らだ!」
「いたぞ、そっちに回れ!」
ふたりの後ろからは大勢の男女の怒鳴り声が聞こえている。その集団の正体は、この山をテリトリーにしている盗賊団なのだが、ふたりにはそれを知る由もない。
黒髪の男の名は久井 賢吾。22歳、大手食品メーカーの企画広報部に勤めている。身長は成人男性にしては小柄な162cmだが、鍛えられた身体と目つきの悪さが威圧感を醸し出している。
幼少の頃から祖父に鍛えられ、日本拳法の研鑽を積んできた。その腕前は、大学で部を率いて全国大会出場を決めたほどだ。
黒髪の若い女の名は吾妻 晶。大学受験のシーズン真っ最中の高校三年生、18歳。白い肌にショートカットの黒髪が映える、美人でおっとりした大和撫子だ。
華道に茶道に英会話、日本舞踊に秘書検定準一級と彼女の特技は実に多彩で、その上、護身術として合気道とキックボクシングを嗜んでいる。160cmの身長に対しかなり華奢だが、その細身から繰り出される蹴り技はかなり苛烈だ。
「はぁ、はぁ……もう、俺、やばいかもしれない」
賢吾が苦しげに喘ぐ。ここ最近、仕事にかまけて運動量が減っていたことが響いている。そうでなくとも、慣れない山道を木々を避け追手を気にしながらの上り下りは足腰にも厳しかった。
「私もです」
そんな賢吾をちらりと一瞥し、黒髪の美少女は涼しい声で言った。どうも嘘くさいのだが、調子を合わせてくれるのも彼女なりの優しさなのだろうか。それとも、彼女なりに責任を感じているのか。だが、あれは晶が悪かったわけではない。
彼らふたりがいきなりこの山の中に放り出され、まだ状況把握すらできていなかったとき、男たちに囲まれ声をかけられた。その男たちがカタギの人間でないことはすぐにわかった。なぜなら、彼らの要求はとてもシンプルだったからだ。
すなわち、「カネとオンナ」である。
晶が無言ですぐさまひとりの首を刈り、その汚い口を閉じさせた。
「あっ!」
「えっ、いきなり?」
「てめっ……ぶふぉ!?」
男たちが驚きの声を上げたところに、さらに追撃。賢吾もその頃には我に返って、ふたりで五人いた下っ端全員を倒したまではよかったが、呼子で仲間を呼ばれてしまった。
そうして追いかけっこが始まったわけだが、武術で鍛えたふたりもさすがに慣れない山道で逃げ回るのはきつかった。視界も悪くなる一方で、ふたりとも状況が厳しくなっていくのを感じていた。
(どうしたもんかな)
賢吾がそう考えていたとき、晶が小さく声を上げた。
「あっ、賢吾さん、あれ見てください。あそこに逃げ込みましょう」
晶が指差したのは、大きく口を開けた洞窟だった。
「洞窟か……」
「気に入りませんか?」
「う~~ん。ここに入って見つかったら、俺たち袋の鼠じゃないか?」
「ええ、確かに。あの先が行き止まりだったら、逃げ場はありません。ですが、これ以上追撃をかわすのは無理です。それなら今は隠れて、体力を回復しませんか。完全に夜になれば彼らも諦めるかもしれません」
「……わかった。行こう」
晶の判断に賢吾は頷く。実際、それは堅実的な提案に思えた。ふたりはタイミングを推し量り、入り口の亀裂へと走る。盗賊たちがすぐさま追いかけてくる様子はなかった。ふたりは頷きあい、賢吾がスマホのバックライトを点けて中を照らした。おぼろげながら奥に空間が続いているのが見える。緩やかに下る道は幅も広く、思ったよりも大きな洞窟のようだ。
「奥へ行ってみましょう」
「そうだな」
ゆっくりと慎重に、ふたりは歩いていく。頭をぶつけることもなく、足元が崩れるということもなかった。だが、だからこそ賢吾はおかしいんじゃないかと疑問を抱く。
「なぁ、おかしくないか? 天然の洞窟がこんなに歩きやすいわけない、よな……」
「え?」
その言葉は晶にとって予想外だった。だが、言われてみれば確かに、この洞窟はどこかおかしい。目を凝らして見回してみると、壁際に粗末な布で覆いをされた木箱が連なっていた。
「まさか!」
晶が叫ぶ。
そして、それに応える女の声があった。
「ハッ、そのまさかさ! そっちから飛び込んできてくれるとは、ありがたいねぇ!」
今まで真っ暗だった空間に、突然いくつもの明かりが現れる。
「やっちまいな!」
リーダー格だろう女が号令をかけると、若い男女が八人ほど駆け寄ってきて、賢吾たちふたりを取り囲んだ。
「げげっ!」
そんな、キルビルじゃないんだからと思いつつ、賢吾はスマホを仕舞って応戦の構えを取った。体力を回復するためにここに逃げ込んできたのに、まさかこの洞窟も山賊のテリトリーだったとは大誤算だ。
「隙を見て逃げるぞ、晶!」
「え、ええ……」
戦うのに充分な光源は向こうが用意してくれた。足場の悪い場所で戦うのは、以前に異世界トリップしたとき以来だが、あのつらかった日々の経験があるからこそ今に活かせる。
「よし……。かかってこい!」
多勢に無勢の中、賢吾は吠えた。