豪華客船の旅
ゆっくりと港を離れていく客船の甲板で、流と美智子は潮風に吹かれながら景色を眺めていた。
「ねぇ、私たち、本当に地球に帰れるかしら?」
「わからねーけど、でも……オレと晶は無事に帰れたんだから、今回もきっと帰れるさ」
「そうよねえ、貴方は一度、この世界に来たことがあるんだったわね」
美智子はたった今それを思い出し、感心した声を出した。一度は帰還したのだと考えると、流の楽観的かつ無責任な言葉にもどこか説得力が感じられる。
ここに来るまでであったらイラッとしていただろう流の態度も今は気にならない。なにせ、どんなに気が急いても、目的地までは三週間ほどかかる見通しなのだ。海が荒れればさらに旅程は伸びる。
美智子はただ船に揺られることしかできないのだから、いくら気を揉んだって仕方がないのだ。この船を見つけるのにも苦労したし、今は達成感の方が勝っていた。
流が「まるでタイタニック号みたいだ」などととやや縁起でもないコメントをしたこの豪華客船は、実際にはその処女航海で不運にも沈んだ船の半分以下の大きさで、何度も航海を重ねたベテランの船だった。
運良く取れた二等客室は流とカイヤ、美智子の三人だけで使わせてもらえるし、このふたりと同じ部屋なのはもう慣れてきた。他の人間が混ざらないだけ気が楽だ。
食堂で出される食事も美味しいし、潮風に吹かれるのは気持ちがいい。カイヤのおかげで風呂も好きなときに入れてもらえる。ただ、やることがないのだけが難点だ。
そんな数日が過ぎ、食堂から部屋に帰ろうとしていたときのことだった。流がいきなり大声を出して叫んだ。
「げーっ!?」
「な、なんであなたがここに……」
流が指差した先には、あの銀髪の聖堂騎士、ロドウィン・カインズがいたのだった。
「おっと、バレちまったな。せっかくひとりずつ始末…じゃねぇや、話し合いをしようとしてたのによ」
「始末って言った! 美智子ちゃん、アイツ、始末って言ったよ!?」
「聞こえたわ! はっきり聞こえたわ! ホントにサイテーのクズ野郎ね!」
ニヤリと笑っていたカインズだったが、騒ぎ立てるふたりに顔をしかめた。
「うるっせぇなぁ」
「な、なんだよ、まだやる気かよっ」
「そうよ、あのとき流クンにしてやられたクセに」
「……あン?」
挑発的な言葉に、カインズは低く唸った。放たれた殺気に周囲の温度が一気に冷えて感じるほどだ。肩をビクッとさせるふたりの前に、カイヤが立ちはだかる。
「そこまでにしてもらおうか。聖堂騎士ロドウィン・カインズ。君の行動は聖堂の典範に照らし合わせずとも逸脱していると断言できる。いったい如何様な理由があって彼をつけ回す。それに、この船に乗っているということは聖堂を守るという役割を放棄したのか? それともまさか、堂主さまが……」
「ハッ、説教くせぇな、うぜぇんだよ」
「なっ」
「ここにいるのは俺の独断だわ。休暇取ったんだよ。これで満足か?」
ククク、とカインズが嗤う。そうしながら肩に担いだ槍の穂先をカイヤに向けて言葉を続けた。
「前にも言った覚えがあるが、余計なお世話だぜ、カイヤ・ショート。俺はあのクソガキが持ってる物に用事があるだけだ。そっちがおとなしく差し出しゃ悪いようにはしねぇっつってんの。けど、どうにも言うことを聞きそうにねぇんでな、ちょっとばかしお仕置きしてやっただけなんだぜ」
「嘘つけぇ、サディスト野郎!」
「ああン!? でけぇ口叩くなら女の背中から出てからにするんだな、腰抜け!」
カインズの恫喝に、流は飛び上がって美智子の後ろに隠れた。
「あのねぇ、流クン!」
「だってぇ!」
美智子は思わず声を上げていたが、流の恐怖も理解はできる。強大な魔力を放つ宝珠の欠片を持っているという、それだけで執拗に狙われ、痛めつけられたのだ。だが今はあのときとは違う。
「ナガレたちに手出しはさせない。どうしてもと言うのなら、実力を行使させてもらうだけだ!」
「へぇ。またボコボコにされてぇとは奇特なヤツだぜ!」
カイヤが剣を抜き、カインズが槍の穂先に付けていた覆いを払い落とす。
「行け、ナガレ、ミチコ!」
その声に地球人ふたりは船内に逃げ込んだものの、ここは海上、逃げ場はない。いずれまたあの男とぶつかるのは時間の問題だ。
「ねえ、流クン、どうしよう!?」
「どうするもこうするも、とにかく逃げるしかないだろ!」
「……ううん、それじゃいつまでも同じことの繰り返しよ。ここはあのチビを倒しましょう!」
「は!? 正気か美智子ちゃん!」
「そりゃあ正気よ。あの男はカイヤさんより強いのよ? だったら今度こそ協力して、あいつをやるしかないじゃない」
「そりゃ、まぁ……」
「いい? まずは……で、……して、……して、……こうするのよ」
「そ、そんなに上手く行くかなあ!?」
「あなたが頼りなのよ、この作戦は! それじゃ行動開始!」
美智子にとんでもない作戦を耳打ちされ、困惑する流だったが、こうなっては覚悟を決めるしかない。まずはあのロドウィン・カインズを引きつけ、カイヤから引き剥がす必要がある。
槍と剣を交えるふたりに対し、流は仁王立ちしてカインズに人差し指を突きつけた。
「わはははははは! おい、ロドウィン・カインズ! 本気でオレたちに勝つつもりかよ。どう考えても人数差でオマエの負けだぜ~っ! ヘナチョコおチビちゃんよー、うはははははははは~っ!」
まさかの展開にロドウィンがカッと目を見開いた。怒りでプルプルしている銀髪の聖堂騎士を、流が畳みかけるように挑発する。
「あ? なんだよその顔は? あ、わかったぞ。計算できねーんだろオメー、こっちとそっちの人数差が。他人に厳しくて自分に甘い典型的なパターンだな。それって性格的にもう治らなさそうだし、背が小さいだけじゃなくて人としての器も脳みそまでも小さいのかよ? うはっ、うははははははははは~~っ!!」
「……どうやら死にてぇらしいな。引きちぎってやろうか、その首をよ!」
「おーおー、引きちぎってくれや。首でも何でもボッキンとよぉ。丁度首がかゆかったところだしよぉ?」
ただし、と流がワンテンポ置いて続ける。
「オレを捕まえられたらの話だけどな?」
「……ぶち殺す!」
「ナガレ!」
こうして追いかけっこが始まった。




