吐露 Ⅲ
「本当に手伝ってもらってよかったのかしら……?」
誰に聞かせることも無く、守美子は口の中で疑問を転がす。
彼女らがいるのは、子供園の裏の木々が生い茂る、けれど、森というには狭い場所。
木漏れ日に照らされたその地には、特別なものが在る。
彼女の眼前には、磨き上げられ僅かな光沢を放つ石の塊が鎮座している。
その石はあらゆる辺が直線で構成されており、中央の石柱には双葉家の文字が彫られている。
そして、結は雑巾片手にしきりに石を磨いている。
有り体に言えば、守美子は結に墓掃除を手伝ってもらっていた。
(いや、本当に何故客である結にやってもらっているの? やはり、疲労の蓄積が……)
己の行動が理解できておらず、物思いに耽りながらも、守美子の手は止まること無く動き続ける。
目は空虚だが。
不意に普段は思い出しもしないような記憶が蘇る。
守美子が母の仕事の手伝いをしたがると、決まって理解し難い表情をしていたのだ。
まるで、いくつもの感情を混ぜ込んだかのような、そんな顔をしたのだ。
(今にして思うと、あれは多分、申し訳無さね。……少なからず、喜びも混じっていたのでしょうけど)
家族に対する感情と、客に対するそれが同等のものとするならば、守美子が現在結に対して感じているものは、過去守美子が向けられていたものだ。
(馬鹿よね……。あの頃の私に出来ることなんて、何もなかったのに)
そもそも、彼女に誰かの助けなんて必要だったのだろうか。彼女の他にそこにいたのは、誰もが子ども。
自分たちが解決できることで、とっくに大人だった母に出来ないことがあろうか。
けれど、守美子は時偶こうも思う。
(――だったら、お母さんのあの時の涙は、苦しみは何だったんだろう)
思い出に遺る弱々しい母の姿。
自身らを背に庇い、守り抜いた大きな背中。
彼女の朧気な記憶とイメージが鬩ぎ合う。
そのどちらが正しいのかなんて、守美子には分からない。
「――守美子さん?」
「何でもないわ。もう少しだけ付き合ってもらえる?」
「うん、大丈夫。たまに家のお墓の掃除やってるし」
その後、二人は掃除を続け、終わる頃には日が傾き始めていた。
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「――ごめんなさい、暑い中手伝ってもらったりして」
「ううん、そこまで暑くなかったよ。寧ろ涼しいね、ここ」
守美子と結は木を背に冷たく微かに湿った地面に腰掛けていた。
雑多に生い茂る木々が光を遮り、そこの気温はそう高くない。
勿論、直射日光を受けるよりは、ではあるが。
「それにしても、お墓が裏にあるとは思わなかったよ」
「お寺とかにあるのを想像したでしょう? 理由は分からないけど、ここの職員の人たちで双葉子供園で一生を終えた人はここに墓を設けてから、皆んなここに入っているのよ」
双葉子供園の職員――いうなれば親役――は、血族では無い。
思いを以て、血の繋がらない家族を形成しているだけだ。
だから、特定の名字は無い。
けれども、そうだとしても人々にとっって子供園は帰る家なのだから、墓石に刻む名は双葉なのだ。
「晴乃さんも?」
「晴乃さんが後任を見つけるか、お嫁に行かない限りはそうなるわね。言ったでしょう、皆んなと」
周囲を静寂が満たす。
強いて言うのなら、木々が揺れ動き、それが微かな音になっているくらいだ。
「少し昔話に付き合ってもらっていい?」
どれ程、そうしていただろうか。
それは彼女ら、どちらにも分からない。
気がついたら、守美子は口を開いていた。
沈黙を肯定と受け取り、そのまま続ける。
「もう何年も昔、私にはお母さんがいたの。優しくて、その小さな身体、と言っても当時の私よりはかなり大きかったけど、とにかく仕事も、家事も、私達に勉強を教えるときも、……ならず者に相対する時でさえ、いつも全力で、私達に愛をくれた。守ってくれた」
一度、言葉を切る。
そして、結の様子を横目で伺う。
結は、当時の情景を想像しているのか、視線を虚空に向けながらも、意識は守美子の方に向かっているようだった。
「でも、私は深夜にお母さんが一人泣いているのを見たことがあるのよ。正直、信じられなかった。私のイメージがいつも笑顔で強い人、だったから」
今もそのイメージが強いけど。小声で付け足して、もう一度思い出を言葉にする。
「まあ、その後すぐに私が覗いているのがバレたわね。当たり前といえばそうよね。気配絶てる子どもとか怖すぎるわ。――で、その事が切っ掛けで私達の距離が縮まった」
「でも、6年前それは崩れ去ってしまったわ。当時、結は6歳だから覚えてないでしょうけど、この街の周辺で魔物の大量発生が起こったのよ。その時に私は魔法少女になったのだけれど、間に合わなかった」
「――っ」
息を飲む。その気配をすぐ横で感じた。
「魔物から私達を守ろうとして、そのまま、ね。一步遅れて到着した妖精を恨んだわ。どうして、もっと早く来てくれなかったのかって。今にして思うと大分理不尽ね」
「魔物の対処に追われていた、とか?」
守美子が自嘲気味に吐き捨てる。
もう妖精への対応は引っ込みがつかなくなっているというのに。
そして、結の発言はまさにその通り。
「当時は魔法少女が少なくってね、既に引退済みの魔法少女たちすら軒並み戦ったそうよ。まあ、それはともかく、何とか魔物を倒した後で、私は今度は私の番だって思ったわ」
「今度は、私がお母さんのように家族を守るんだって」
いつも見ていたその小さく大きい背中のように。
「だから強くなりたかった、強くなりたい。例え相手が何であろうと誰も殺させずに、傷つけずに打倒し得る力が欲しい」
家族を、大切な人を守り抜くために。
「でも、まだまだね。守れない。お母さんのようにはなれない。沢山の人を死なせて、それでもなお私は、弱い! 結たちに助けられてばかりで、その癖守る事もできない!!」
ぎり、と拳を握りしめる。
先日のサソリ型魔物の被害者の顔が脳裏を掠める。
その前の人々も、更にその前も。
最早何人になったかは、覚えていない。
折角守るための力を得たのに、守りきれない。
「守美子さんは、弱くないよ……」
「…………は?」
意味が分からなかった。どうして、そうなる。
「そんなわけないじゃないっ。私は――」
「強いよ。じゃなかったら、私はここにはいないよ?」
反論できずに押し黙る。
そこに畳み掛ける。
「それに、守美子さんはさっき助けられてばかりで、って言ったけど、それは守美子さんのお母さんも同じじゃないの?」
「夜に泣いてたんでしょ? だったらその人だってずっと強いわけじゃないよ。それとも、その人は全部何もかも一人でやってたの?」
「……それは無いわね。子供側にだってやることはあるわ。普通にお使いとかは頼まれてたわ。……でも、それでも、いつも一番大変なことはお母さんがやっていたわね」
そこまで聞いて、結の口角が自然と広がる。
「いっつも、一番危ない役割を熟してるグラジオラスさんみたいに?」
「――ふふっ……」
ほんの少しだけ、笑いが溢れた。
「……そっか、私も少しはお母さんに近づけたのかな…………」
彼女の呟きは、微かな葉擦れの音色に包まれ消えた。
お読み頂きありがとうございます。
今後も読んでくださると幸いです。
分かりづらかったらすみません。
補足するなら、自身らを守る「母の背中」が鮮烈に記憶に残り、それこそが彼女にとっての象徴として認識していると言いますか……。
要は、母親のようになりたいー>象徴である強さを求める、よいう状態。




