歯止め
街が夜ならではの活気を得て、仕事終わりの人々が繁華街に溢れかえる。
街の中心部にある10階建てのビル。
その4階に位置する場所は、未だに煌々と光が灯っている。
そのビルは、魔法局支部。
4階は、魔法少女の訓練用の設備が整っている。
広々とした訓練室、そこにいるのはたった1人。
純白の装いは汗に濡れ、彼女が白刃を振るうたびに汗の雫が辺りに散る。
彼女の愛刀は、少女の乱れた呼吸に合わせて二振りとも微かに震えている。
「――はあっ……はあっ……あっ――――」
明らかな疲労を滲ませて、しかし彼女の剣舞は未だ終わらない。
流暢さが失われた閃きがまた一つ刻まれた。
誰が見ても分かる程のオーバーワーク。
それでも、そんな事は知ったことかと彼女は小太刀を振るう。
何度でも、腕に、四肢に、全身に力が入らなくなろうと彼女は止まらないだろう。
他者の介入が無ければ。
突然、訓練室の全照明が暗転する。
元より外界の光の一切が届かない大部屋は、墨汁で塗ったように黒に染まる。
カツン、と足音が一つ響いた。
「いい加減にしなさい。それ以上は死ぬわよ」
携帯端末の僅かな明りを頼りにグラジオラスに歩みを寄せるのは、
魔法局支部の支部長にして、グラジオラスら魔法少女にに対する直接的な命令権の唯一の持ち主、清水 創美であった。
「残業にしても、そろそろ帰るべきよ。そういうのは大人になってからにしなさい」
「……死にはしませんよ、これくらいでは。…………それとこれは、サービス残業でしょう」
サービス残業――残業するのに残業手当の出ない悪魔の所業。
タイムカードを切ってからも仕事を続けることで発生するものだが、そもそも魔法少女にタイムカードは無い。魔法局職員にはあるが。
冗談に冗談で返したは良いが、グラジオラスの声音には覇気が無い。
寧ろ数時間単位で小太刀を振るい続けて、疲労しない訳が無いので当然といえばそうだが。
「冗談が過ぎたわね。あと、勘違いしてるわよ。死ぬのはここではなく、その疲労度で戦場に出たらの話よ。今の貴方なら、Dランクの魔物一体で十分ね」
これは冗談では無いわ。
創美は付け足すように言うが、そんな事はグラジオラスにも分かっている。
流石に近接戦闘を専門としているのだ。
自分の体調など体感覚だけで大方把握できる。
今の状態なら、ガルライディア相手どころか、仲間内で近接戦闘最弱のエレクにさえ、3分保たないだろう。
けれど、
「すみませんが、もう少し続けてから帰ります」
まだ足りない。
己が守らなければならないのだ。嘗ての母のように。
例え何が相手であろうと屈さずに、幾度となく家族を庇って傷つこうともその度に立ち上がった背を追いかけて。そうなると誓って。
それには未だ力が足りていない。
だから、止まってはいられない。
疲労困憊の身体を引きずるように、訓練設備に向かうグラジオラスに、創美は深く深く溜息を吐いた。
これ以上、無理させることは有り得ない。
けれど、今の精神状態のグラジオラスに強制させるのは得策でない。
ならば、自ずと答えは見える。
「グラジオラス、そんなに訓練がしたいなら付き合ってあげる」
「え……?」
「でも、私が勝ったら限界スレスレまでの訓練は禁止するわ。貴方が勝ったらもう私は、何も言わない。どう?」
創美のいかにも自身のありそうな様子に訝しみながらも、グラジオラスは話に乗る。
圧倒的ハンデのある状況。明らかに有利なのはグラジオラス。
少なくとも彼女はそう思っている。
互いに数メートル離れて、向かい合う。
「貴方は自身以外に対して、魔法を使わない。それ以外は何をしてもいいわ。準備は良い?」
「はい」
流石に創美がどんなに強くても『白縛鎖』などに捕まったらそれまでだ。
グラジオラスが訓練しているのは、近接戦闘なのだから、それは今回は使うべきではない。
創美は、半身を下げて、両腕を緩く腰の辺りに構える。
グラジオラスは一切の遠慮なしに『唐菖蒲』を両手に、片足を大きく引いて、重心を前に傾ける。
合図はいらない。
「ふっ……」
一步、軽く、けれども速く、グラジオラスは踏み出す。
対する創美は待ちの姿勢。身体は少しも動かない。
(身体が重い。……多分4割位能力が下がっている。…………でも、普通の人間にはこれで十分)
グラジオラスは己の不調具合を改めて認識した。
それでも、勝てると判断。
間合いを詰めて、クロスレンジ。
グラジオラスが最も得意とする距離に入り、峰を向けた小太刀が疾走る。
一応、万が一にも殺さないように峰を向けてはいる。
鋒の場合は普通に振るうよりも到達までの時間が短いというのもあるが。
「――――ッ?!」
魔力を込めて、普段よりもゆっくりと流れる世界の中で、グラジオラスは目を見開いた。
一般人には到底認識できないであろう速度で空を駆ける『唐菖蒲』を創美の両目はしっかりと追っていた。
「甘いのよ」
一言呟き、グラジオラスの凶刃を振るう腕を捉える。
突進からの右からの横薙ぎ。
それに合わせて、腕を抱え込み、身体を反時計回りに旋回させる。
瞬間、グラジオラスは世界がひっくり返るような錯覚を受けた。
「――ぐっ……」
硬い床に叩きつけられ、息を漏らす。
目の前には、手刀が一振り。グラジオラスの首元に掲げられている。
その主は、グラジオラスを背負投の要領で打倒した創美。
「まだ続けるかしら?」
「……いえ、参りました」
賭けは創美の勝ちに終わり、グラジオラスは有無を言わずに帰されたのであった。
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「まったく、馬鹿な子ね。訓練で自分の身体壊しちゃ意味がないってのに」
ぼそりと思い出したように呟く。
彼女がいるのは、自宅のリビング。
「……? どうしたの、お母さん」
目の前には、創美の言葉に反応をした娘の姿。
「いいえ、何でも無いわ。それより早く寝なさいよ、凪沙」
清水 創美――守美子の友人、清水 凪沙の母は娘の友人の今後に不安を覚えている。
いつか、そう遠くない未来に壊れてしまわないかと。
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