理由
薄暗い部屋。
閉め切られたカーテンに遮られ、日光は一切差し込まない。
その部屋を照らすのは、テレビの不十分な明かりだけ。
部屋の中は見渡す限りのゴミに埋め尽くされている。
コンビニ弁当の器、飲みかけのペットボトル、大量の吸い殻。
そして、それ以上に膨大な酒の空き缶。
ゴミ屋敷の主である男は、唯一ゴミに覆われていないソファーの上でビール缶を煽っていた。
正面のテレビから、誰かの笑い声が響いた。
ビールの水面が忙しく揺れる。
「…………クソが」
叩くようにテレビを消して、リモコンを放り捨てる。
誰かの喜びが不快で仕方なかった。
現状、男は定職に就いておらず、日銭を稼ぐのでやっとの状況。
貯金らしい貯金も無い。
以前はしっかりと貯めていたが、数年かけてギャンブルで溶かしきった。
最早家賃すら払えるか怪しいが、男は動かない。
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向き合った筋骨隆々の男達が拳を構える。
白と黒、それぞれを基調とした衣服に身を包んだ男達の内、白服の方が数歩距離を詰める。
それに対して、黒服の男はショルダータックルで距離を一気に詰める。
白色は両腕を交差させ防御を固める。
ショルダータックルをしっかりと受け止めて、地面へと投げ落とし、跳ね上がった黒の男を蹴り上げて、そのまま拳の連打。
慌てて黒の男が回避行動に出るがお構いなしにボコ殴り。
そのままHPを削り切った。
「――ぬぅあぁぁ……………」
「――ッ。みゆ姉、怖い」
真横から聞こえた謎の鳴き声にピクリと肩を震わせて、鳴音はことりとコントローラーをテーブルの上に置いた。
ただの格ゲー対決だった。
蕗原家のリビングにて、行われていた妹分同士の対決を千里と共にコーヒー片手に眺めていた明の溜息が僅かに立ち上る湯気を揺らす。
「明ちゃんは、すっかり大人になったわね」
「……………あれから、10年近く経ってますからね」
まっすぐに、慈愛の籠った視線を向けられて、明は僅かな居心地の悪さを感じた。
だが、悪い気はしない。
「美勇も大きくなった……急に成長したように見えたけど、明ちゃんも鳴音ちゃんも本当に大きくなったのねぇ」
一応、美勇からことのあらましは聞いている。
だからこそ、余計にどう返していいのか分からなかった。
数年単位で関わりが希薄だったのだ。
子供が急成長したように感じてしまうのだろう。
しかし、それは美勇が長い時間をかけて積み重ねてきたものだ。
そんなことを言っても、目の前の幼い頃幾度と無く面倒を見てもらった人を傷つけるだけだ。
「――それで、順調ですか?」
「…………えぇ」
テレビの前での騒ぎが大きくなった。
二人での対戦から、オンラインのタッグマッチに切り替えたらしく大騒ぎしながらも着実に対戦相手のタッグに攻撃を加えている。
ボリュームと声音を一段下げて、目下の問題について口を開いた。
「美勇の雰囲気などから事実であることは分かっているのですが、………正直な話、あの方がそうなってしまったのは信じがたい、いえ、信じたくない、が近いのかもしれません。千里さんや美勇には申し訳ないのですが。あの方はいつも、全力で家族を愛しているように見えましたから」
「ふふっ」
幼いながらに感じるものはあった。
離婚裁判の準備中の人間に言うべきことではない。
自身の身勝手な感情と言動に不快感が募る。
だからこそ、千里の笑みが分からなかった。
「ごめんなさいね。さっきは大きくなったって言ったけれど、嫌なことがあると眉間にきゅっとしわが寄るのは変わらないのね」
「……………そう、なんですか?」
視界内のものを認識する能力が上がっても、自分の顔は見えない。
「それにね、あの人がそう見られているのが面白くって」
「――と、言いますと?」
「あの人は私達を全力で愛してくれていたわ。それだけじゃない。仕事も、あなた達含めて美勇と遊んだりも全部に全力だった。それが当時小さかった明ちゃんに伝わっているのがね、どれだけわかりやすかったんだって」
その時の微笑みをなんと形容していいか、明の語彙に相応しいものは無い。
一番近いのは懐古か。
でも、それだけじゃないのは確か。
「だから、一度押し潰されると立ち上がるのに時間がかかる」
「それが言い訳になると? それだと裁判にもっていくのが不自然に感じますが」
明の鈍い目にも、千里の中に夫――蕗原 誠一への想いが残留していることが読み取れた。
でも、それだけだと理由としては弱い。
「ただ折れてしまっただけなら、私が支えればよかっただけ。暴力だって、まだ許容できるわ。でも――」
――あの人は、言ってはならないことを言ったから。
核心的なことは心の中だけで。
これを口に出したら、なんにも関係のない娘に等しい少女に八つ当たりしてしまいそうだから。
だから、彼女は口を噤んだ。
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