懐古録 Ⅰ
いつから、そうであったのか。
彼女は知らず、特に聞く気もない。
だが、母が庇ってくれていたのは古くから知っていた。
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半月程前に行った遊園地にて買ってもらったぬいぐるみを抱き締めて寝ることが日課になりつつあった幼子は、ふと目を覚ました。
(…………いない………………)
時刻は日を跨いだ頃、未就学児にはかなり厳しい時間。
彼女は重い瞼を押し上げるように目を擦り、ベッドから這い出た。
いつもは一緒のはずの母の姿が無い。
ベッドには温もりさえ残っていなかった。
扉から僅かに漏れた人工灯を頼りにふらふらと、扉に近づく。
何か音がした。
恐る恐るドアノブを回す。
蝶番の軋むような音が、闇夜に吸い込まれる。
幼子が見たのは、彼女を血走った瞳で睨む父親と、その真下に頬を抑えてへたり込む母の姿だった。
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視界が弾け、再び収束する。
少女が家にゆっくりと入る。
ほんの僅かな音さえ鳴らさぬように。
せっかく早く帰れるのだ。
どうせなら母を驚かせたかった。
最近怪我の増えた母。
少しでも笑顔になって欲しかった。
忍び足でリビングを覗き込む。
そこには、腫れた頬を涙で濡らしてアルバムをゆっくりと捲る母の姿があった。
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視界を極光が埋め尽くす。
今度はなんであろうか。
何か、懐かしいような匂いを感じる。
それに何か聞こえる。
「……朝、か…………」
先程までの光景を夢と認識して、ベッドから跳ねるように起き上がる。
未だぼんやりとする視界のままに、扉を開ける。
「……ん?」
開けた瞬間、音が明らかに大きくなった。
音のする方に目を向けて、彼女は目を見開いた。
だが、すぐに思い出す。
未だに馴染めぬ現実を。
――ああ、そう言えば、人が増えたのだった、と。
「――お母さん? 寝てて良いんだよ?」
「やらないと落ち着かなくて、つい。美勇がお母さんのご飯嫌なら止めるけど?」
家事くらいは出来るし、母が来たのちも自分がやるつもりであった美勇だが、それはそれとして、母の手料理は恋しかったのだ。
それを見透かした意地悪げな視線は恥ずかしいが、嫌じゃ無い。
「嫌じゃ無いですぅ。――今日はどうするの?」
「今日は仕事しながら…………纏めるわ」
テレワークの職を以前から手に付けていた は家で仕事も何も解決する。
その空き時間に、必要な資料を纏めるつもりでいた。
美勇もそれは行うつもりなのだが、流石に学校があり、教室で纏められるような内容では無い。
なお、学校を休むと言う選択肢は、母千里が満面の笑みでぶっ潰した。
このように、新たな、けれどもどこか懐かしさのある日常に彼女らは生きている。
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