過去の傷
泣き声が聴こえる。
部屋に甲高く響く。
けれども、それ以上に怒号がその部屋を支配していた。
狭くボロボロなその一室は、戸籍上の家族計3人が暮らすアパートのリビングだった。
テーブルには大量のビール類の缶。
床に散らばる雑多なゴミ。
汚れたまま放置され、異臭すら放つキッチン。
怒号を飛ばすは、一家の大角柱(笑)。
なお、実際には笑えるような状況下には無い。
泣く少女ーー小学校低学年程度であろうか--に手を上げ、足蹴にし、ゴミを投げつけ、物を投げる。
リビングに程近い寝室からは啜り泣く音が聞こえる。
その女性の状況も少女と似たようなものだった。
そこかしこには痣が見える。
けれど、まだ彼女はマシな方だ。
少女の身体には幾つかの斑点、有体に言えば、円形の火傷跡が残っている。
家に金を入れない夫に逆らう事は出来ない。
恐怖に動かぬ身体で何とか自身と娘の生活費を稼ぐ日々。
彼女の精神は磨耗し切っていた。
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「…………ん、んん………………」
蕗原 美勇の朝は遅い。
のそのそと起き上がり、ふらふらと壁に頭を打ちつけそうになりながらも、シャワールームへと入っていく。
自身の身体を打つ温水に段々と目が叩き起こされていく。
シャンプーを取ろうとして、ふと前を見た。
そこには一枚の若干燻んだ鏡があった。
美勇の怠惰が招いた燻みだが、今注目すべきはそこじゃ無い。
「ーーやぁっぱり、結構分かるなぁ…………。あんの糞野郎、乙女の柔肌になんてもん付けてくれてんだか………………」
鏡に写ったそれを、つつ、となぞる。
垂れる文句も伝える相手が居なければ、虚しいだけだ。
「……しゃーない。娘から近づいてあげますか…………!」
誰に言うでも無く、強いて言うなら自身に言い聞かせ、彼女はシャワールームから飛び出した。
決して着替えを持ち込むのを忘れた訳では無い。
訳では無いのだ。
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