アルバム Ⅱ
「……あぁ…………、結。少し良いかい?」
「んー…………?」
「一回離れてくれ。まだ話したいことがある」
大変言いにくそうにしながら、昌継は結を引き離す。
当人の感情的にはもう少ししていても良かったが話が出来ない。
「……で、なあに? これ以上謝ったりとかは駄目だよ?」
「そうじゃないよ。これからは態度と行動で示すさ。…………あ、と、僕は兎も角、香織さんだけは信じてあげてくれないか」
色々言いたい事はあるが、一先ずは話を一通り聞く気なので、結は黙って続きを促した。
「僕にとっては生活の為でしか無いけれど、彼女にとって仕事は逃げ場なんだ」
「逃げ場……。現実逃避とかの?」
「そう。まさしくそれ」
辛い現実から目を逸らす為の仕事。
ブラック企業に勤めている人間がブチ切れるような話だ。
彼女からすれば辛さは仕事<現実なので、しょうがないのだが。
「その理由、の前に、香織さんが話してもいいと言っていたからね。昔話からだね」
昌継は、リビングに設けられた棚から、あるものを取り出した。
「……それは?」
「僕らの高校の卒業アルバムだよ。ちょっと待っててくれ」
パラパラとアルバムを捲り、目的のページを開いたまま結の前にゆっくりと置いた。
昌継の携帯のライトを付けて、それを照らす。
そこには、体育祭か何かだろうか、大きな旗を片手で地面に立てた状態で、もう一方で友人らしき女子の肩を抱いた髪がボサボサの女子が写っている。
「ーーこっちの旗を持っている方が香織さんだね」
「……え? えぇ…………」
当時の母の姿に驚き、同時に今との差異に若干引いた。
けれども、よくよく見れば顔立ちは香織のそれだった。
「それでね、もう一人の女性。名前は、矢車 雪乃さん。香織さんの無二の親友だった人だよ」
昔を懐かしむように、昌継は続ける。
「彼女とも友人だったのだけどね、非常に見ていて飽きない人だったね。普段はおどおどしていて、でも一度決めたら猪突猛進さ。本当になんでそこは共通なんだろうね?」
軽口もそこそこに、昌継の気配が固くなっていく。
「香織さんは矢車さんに全幅の信頼を置いていたし、矢車さんも香織さんと一緒に居るのが当たり前と言っていたよ。それこそ姉妹と言うか家族と言うか……、兎に角仲が良かった。だから、だろうね」
「矢車さんが事故で亡くなったときの香織さんは見ていられなかったよ。高校を卒業して一年に満たない時期の事だったけれど、香織さん自棄になってしまってね。一週間碌に家に帰りさえしなかったよ」
「ーーーーーーーー」
言葉が出ない、とはこの事か。
母はかつて自分と同じような経験をしたのだ。
結の表情筋が動きを無くすのに伴うように、昌継の瞳も冷たくなっていく。
「やっとの事で見つけた時には、肉体的にも既にボロボロだったね。まともに動けない癖に暴れようとするものだから、大変だったよ。…………なんで恋人に関節決めなきゃならなかったんだか………………」
さらりとエグい事を言っているが、無理もない事だ。
この夫婦の始まりは、昌継が(無意識に)矢車を口説くような事を言ってしまい、香織がその件で喧嘩をふっかけたことだ。
加えて、暴走中に女性に性的暴力を振るおうとした不良グループが幾つか消えているのもあって、関節を極める他無かった。
「昔話が長くなってしまったけれど、ここからが本題。家族に等しい親友を失った香織さんは僕含めた周りの人間でギリギリ繋ぎ止められた」
本当はもっとロマンチックな場面でプロポーズする予定だったが、昌継的にはあのときしか無かったと言える。
さもないと消えてしまいそうだったから。
「でも、やっぱり現実からは逃げたかった。だから、香織さんは仕事に明け暮れて、暫くして結が生まれた」
「その後、結が大きくなって家にいない時間も出てきた。また仕事に明け暮れる」
淡々と語って言うようにが、昌継としては何処かで止める事は出来なかったのかとずっと考えながらも、説明を続ける。
「香織さんはね、何か縋るものが欲しかったんだと思うよ。それが仕事や結だったんだよ」
昌継は縋る先では無かった。
元々当時から恋人であった事もあって、態々意識無意識問わず縋る者とはなり得なかったのだ。
「ーー白川さんの件でね、香織さんは怖かったんだと思うんだ。しっかりと結を見ていたからこそね。本人は見た後で見捨てたって言うけれど、見ようとしなかった奴よりよっぽど立派さ。……兎に角」
「ーーううん、もう大丈夫」
流石に長く焦れてきたのもあって、結は話をぶった切る。
そもそも無駄なのだ。
「さっき伝わったと思ってたけど、違ってたみたいだね。だから、はっきり言う」
きっ、と睨み付ける。
少女の目には深い憤りが浮かんでいた。
「そもそも説明される前から、特に恨んでも無いし、寧ろ感謝してる。信じて欲しい? もともと世界で一番信頼してるし信用してる。ーーあ、一位タイか」
平坦な声音で畳み掛ける。
不満が溜まりに溜まっていたのだ。
丁度良い。
最後にもう一個。
そう付け足して、結は勢い良くソファから立ち上がって、昌継を見下ろす。
「私の大好きな人の事、これ以上悪く言わないで」
「ーーい、いや、僕は自分の」
「言、わ、な、い、の……!」
封殺した。
完全なゴリ押しで。
若干の恐れ込みで、父親が頷いたのを見届けて、宜しいとばかりに結はべちりと柏手を打った。
「そんな事よりさ、今度三人でお出掛けしようよ。お父さんとかが寂しい思いをさせたって思うならさ、これから一杯一緒にいてよ。ね?」
気にしていない。
結の結論はそれだけだ。
罷り間違っても、昌継では無い、それこそ子供らしい要求に父親も苦笑交じりに答えたのだった。
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