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隋紀七 大業13(617)年 (45)
それを受けて王威等は皆言った。
「公(李淵)の地位は皇室の親族と賢臣を兼ね、国(隋)と命運を同じくしていますが、もし上奏して陛下からのご返信を待たれるならば、どうしてそれが賊から攻撃を受けている間に到着するでしょうか?今ここで大事なのは賊を平らげる事でありますから、これを独自の判断で行なってもよろしいでしょう」と。
その進言に李淵が外面はやむを得ず従うようなふりをして言った。
「そうであるならば先ず兵を集めるべきである」と。
そこで李淵は李世民と劉文静、長孫順德、劉弘基等に命じて各々募兵させ、それによって遠近より人々が足を運んで集まった結果、その数は十日の間に一万人近くとなり、その上密かに使者を派遣して長男の李建成、四男の李元吉を河東郡から呼び寄せ、娘婿の柴紹を長安から呼び寄せた。
訳者注
※公(李淵)の地位は皇室の親族
李淵と煬帝は母方の従兄弟同士、煬帝の父・文帝(楊堅)の皇后で、煬帝の母でもある独孤伽羅は李淵の叔母。
※長安
隋の都・大興城のこと