隋紀七 大業13(617)年 (40)
大業11年(615)年3月に李淵は河東討捕使に任命されると、彼は大理司直である夏侯端を朝廷に願い出て副官とした。
そして夏侯端は夏侯詳の孫であり、占い及び人相見を得意としていたため、時機を見て李淵に言った。
「今玉床は揺れ動き,帝座は安定せず、さらに(晋の地である)晋陽で歳星は参の位置にあるため、必ず天命を受けた天子がいてその地に起こりますので、それが公(李淵)でないなら誰でありましょうか!
しかも主上(煬帝)は猜疑心が強く残忍であり、最も諸々の李氏を忌み嫌い、罪が無い李金才(李渾)は既に殺されました。
それゆえ公が臨機応変に対処することを考えなければ、必ず李金才に続く標的にされます」と。
李淵は内心これをその通りだと思った。
訳者注
※夏侯詳、南朝・梁の武帝の創業を助けた人物。
※玉床:天床六星のこと、こぐま座とりゅう座に属する。
古代中国ではこの星が帝位を管轄すると考えた。
※帝座:ヘルクレス座のα(アルファ)星のこと、古代中国では玉座(皇帝が座る席)に例えた。
※歳星:(君主を象徴する)木星のこと。
※参:(晋の星を意味する)オリオン座の三つ星。
※梁(502〜557年)の武帝、中国南北朝時代の梁王朝初代皇帝。
武帝は五十年近く帝位にあって南朝文化の黄金時代を築いたが、その後彼の不手際や仏教への傾倒によって政事は乱れるようになり、やがて亡命してきた侯景(宇宙大将軍)に反乱を起こされ、都の建康(現在の江蘇省南京市)は陥落し、餓死するという最期を迎えた。