隋紀七 大業13(617)年 (38)
これより前、裴寂は密かに晋陽宮の宮女を李淵に侍らせ、その状態で李淵は裴寂と一緒に酒を飲み、酒を飲んで出来上がるに至り、そこで裴寂は従容とし(落ち着き払っ)て言った。
「李二郎(李世民)殿は密かに兵達を訓練し、義兵を挙げることを計画されていて、またちょうど今「寂」(裴寂)が晋陽宮の宮女を公(李淵)に侍らせたため、事が発覚して共に死罪に処されることを恐れるなら、急いで挙兵の計画を実行する他ありません。
加えて皆の気持ちは既に一致しておりますが、公のお考えはいかがでしょうか?」と。
それに対して李淵は答えた。
「我が子(世民)確かにこの計略あり、そして事既にここに至り、またどのようにするべきか、まさに世民の計略に従うべきである」と。
訳者注
※「寂」(裴寂)が晋陽宮の宮女を公(李淵)に侍らせたために、事が発覚して共に死罪に処される」の部分について。
皇帝以外の者(臣下)が宮女を侍らせる(宮女を側に置いて身の回りの世話をさせる)ことは大罪であり、宮女を李淵にを紹介した裴寂も、宮女を受け入れた李淵も死罪を免れないことは上述したが、しかしなぜ裴寂がこのようなことをしたかというと、彼は李世民の挙兵の計画に加わっていた為、李世民と裴寂が計画した宮女を李淵に侍らせるという措置をとることで、李淵が死罪を恐れて挙兵を決意せざるを得ない状況に追い込むためである。