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次の部分の翻訳について

 次の部分の翻訳について『資治通鑑(しじつがん)』の原文を見ると高君雅(こうくんが)王仁恭(おうじんきょう)が力を合わせ侵攻して来た突厥(とっけつ)を迎撃し、戦いに敗れたと記述しているが、胡三省(こさんせい)(ちゅう)にもある通り王仁恭はこの年の春すでに死亡していて、彼は高君雅と王仁恭が力を合わせて突厥を迎撃し敗北したのはきっと昨年(大業(たいぎょう)12(616)年)の事で、李淵(りえん)の起兵の原因としてついでにこの事をさかのぼって記述したのだろうと述べているが、確かに胡三省が述べる通り王仁恭はこの年の2月劉武周(りゅうぶしゅう)に討ち取られていて(第51部分 隋紀(ずいき)七 大業13(617)年(5)参照)、この時点で高君雅と共に突厥と戦えるはずがないのはその通りだが、しかし胡三省の述べる事と異なり、『旧唐書(くとうじょ)』と『新唐書(しんとうじょ)』の「劉文静(りゅうぶんせい)列伝(れつでん)を確認すると、突厥に敗北した将は高君雅としか記述されておらず、さらに高君雅の敗北は『旧唐書』の「劉文静」列伝を確認すると、「今問題になっている(李淵(りえん)の)副将(高君雅)が敗北した」と、劉文静、李世民(りせいみん)等が李淵に起兵を決意させようと説得している時点の事として記述されていて、『新唐書』の「劉文静」列伝も高君雅の敗北について「今(李淵の)部将(高君雅)戦いに敗れ」と記述している。


 以上の理由により『資治通鑑』の(この時点で)高君雅と王仁恭が力を合わせて侵攻して来た突厥と戦ったという記述も、胡三省の高君雅と王仁恭が突厥を迎撃して戦いに敗れたのは、昨年(大業12(616)年)の事であるという注も自身の翻訳では採用しない事とした。


※参照文献


・『旧唐書(くとうじょ)』 巻五十七 列伝(れつでん)第七 劉文静(りゅうぶんせい)(中華書局P2291)


・『新唐書(しんとうじょ)』 巻八十八 列伝第十三 劉文静(中華書局P3734)

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