隋紀七 大業13(617)年 (34)
ところで李淵は裴寂と旧知の仲であり、いつも一緒に酒宴を開いておしゃべりをし、時にそれは昼から夜まで続いた。
そして、それをチャンスと捉えた劉文静は、裴寂を通し李淵を説得しようと思ったので、そこで裴寂に李世民を紹介して彼(李世民)と交際させた。
そして李世民は自分の銭数百万を出して、高斌廉に裴寂と賭博をさせ、高斌廉に段々わざと負けさせて、その都度裴寂に銭を与えると、裴寂は大変喜び、これによって裴寂は日々李世民に付き従って遊ぶようになり、親交は益々深くなった。
李世民はそこで彼の計略を裴寂に伝えたところ、裴寂は李淵を説得することを承諾した。
訳者注
※「高斌廉に裴寂と賭博をさせ」の訳について。
『資治通鑑』の原文に従えば「龍山県令の高斌廉に裴寂と賭博をさせ」と訳すところであるが、胡三省注に拠ると隋書の志に開皇十(590)年龍山県の名称を晋陽県に改めたとあり、以後龍山県の名称が復活することはなく、そのため大業十三(617)年のこの時点で高斌廉が龍山県令であったという事実はないので、「龍山県令の」という言葉は訳から省いた。
※龍山県と晋陽県の変遷については以下の文献・データを参照した。
・隋書 巻三十 志第二十五 地理中 太原郡(中華書局P854)
・中国語版ウィキソース (Wikisource)
『元和郡縣圖志』(元和郡県図志)
巻十三 河東道二 河東節度使上 太原府 晋陽県
※『元和郡縣圖志』とは。
元和郡県図志は元和8(813)年、唐の第11代皇帝・憲宗に献上された中国唐代の地理書。
※注とは。
注とは本文のわかりにくい箇所に説明の言葉を入れること。