隋紀七 大業13(617)年 (31)
晋陽宮監である(河東郡)猗氏(県)の人裴寂、(太原郡の)晋陽県令である(京兆郡)武功(県)の人劉文靜は、二人で同じ宿舎に住んでいたが、城壁の上から発した烽火(のろし)を見、裴寂は歎いて言った。
「我らが貧しく地位の低いことは見ての通りであり、その上戦乱で人々が離散する世に遭遇し、まったく何によって自分の身を守ればよいのか!」と。
それに対し劉文靜は笑って言った。
「君は時勢(世の移り変わる勢い)を知るべきであるし、我ら二人が息を合わせて行動すれば、どうして貧しく地位が低いことを憂う必要があろうか!」と。
そして劉文静は李世民を見て彼が非凡な人物であると感じ、李世民と親しく交際していたので裴寂に言った。
「李二郎殿は常人(凡人)ではなく、度量が大きいことは漢高(漢の高祖・劉邦)に似ていて、英明にして武勇に優れていることは魏祖(三国・魏の太祖、曹操のこと)と同じで、年が若いとはいえ、国を治める才能がある人物だ」と。
しかし裴寂は初め劉文静が語ったことをその通りだとは思わなかった。
訳者注
※ 李二郎 李世民は二男なのでこう呼ぶ
※ 英明 非常に才知が優れていること
※漢の高祖・劉邦
戦乱の中で庶民から身を起こし漢王朝の初代皇帝にまで上り詰めた人物。
※度量が大きい 他人の言動を寛大に受け入れる心のこと