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隋紀七 大業13(617)年 (28)
内史舍人の封德彝が虞世基に媚びへつらい、虞世基は官僚の仕事に不慣れであったため、密かに封德彝が虞世基に代わって政策を立案し、勅命(皇帝の命令)を公布して施行したが、(施行するにあたっては)常に煬帝の意向にへつらい従った。
そして群臣(諸臣)の上奏文の内容が煬帝の意向に逆らうものであれば、全て握りつぶして上奏しなかった。
さらに刑事事件の審理で法を適用するにあたり、厳しく複雑な条文を用い、誹謗の限りを尽くすことがほとんどで、論功行賞(功績の程度によってそれにふさわしい賞を与えること)にあたっては、功績を過小に評価して恩賞を薄くした。
けれどもそのことにより虞世基への煬帝の寵愛が日々厚くなっていき、それに比例して隋の政治は益々腐敗していったが、これらは全て封德彝が行なったことである。