隋紀七 大業13(617)年 (26)
越王楊侗は太常丞の元善達を派遣して、群盗が勢力を張っている間を密かに通り抜け、江都に至り上奏させた。
「李密は軍勢百万を有して、東都への包囲網を狭め、洛口倉を拠点としていますが、東都城内には食糧がございませぬ。ですがもし陛下が速やかに東都ヘご帰還あそばされますなら、李密等のような烏合の衆(寄せ集めの者達)は必ず散り散りになりますが、そうなさらないならば東都の陥落は避けられませぬ」と。
そして元善達は悲しみに耐えきれず涙を流し嗚咽したので、煬帝はこれを見て顔色を変えた。
その時煬帝の寵臣(お気に入りの臣下)である虞世基が進み出て言った。
「越王殿下はお若いため、このような者が殿下を欺いているのです。もしこの者の言う通りである(群盗が横行している)ならば、元常丞(元善達は太常丞)はどうやってここ(江都)に来ることができたのでしょうか!」と。
煬帝はこの進言により顔に怒気を漲らせて罵った。
「元善達は小人(品性に欠けている人間)だ、そのため敢えて朕を朝廷において侮辱した!」と。
そして元善達への怒りによって煬帝は、彼に群盗が勢力を張っている場所を通って、東陽郡へ向かい物資の輸送を督促することを命じ、元善達はそれが原因となって群盗に殺された。
この後人々は恐れて口を閉ざし、敢えて群盗のことを煬帝の耳に入れる者はいなかった。