70/139
隋紀七 大業13(617)年 (24)
東都城内は食糧が乏しかったが、しかし布と絹織物は山のように積まれていたので、絹を用いて水汲み用の縄を作り、布を燃やして火をおこし食事を作るようになった。
(煬帝から東都を任された)越王・楊侗は、人を派遣して回洛倉の米を運んで洛陽城(東都)内に入れさせ、兵を派遣して五千を豊都市に、五千は上春門に、五千は北邙山に駐屯させ、分けて九つの陣を作り、先頭部分と最後尾が緊密に連携し、それによって李密の攻撃に備えた。
訳者注
※上春門
隋洛陽城の洛河を挟んで北側の外城(隋洛陽城北東部)の東の門。
唐代の呼称は上東門
※北邙山
現・河南省洛陽市の北東にある。