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隋紀七 大業13(617)年 (24)

 東都(とうと)城内は食糧が(とぼ)しかったが、しかし布と絹織物は山のように積まれていたので、絹を用いて水()み用の縄を作り、布を燃やして火をおこし食事を作るようになった。


煬帝(ようだい)から東都を任された)越王(えつおう)楊侗(ようとう)は、人を派遣して回洛倉(かいらくそう)の米を運んで洛陽(らくよう)城(東都)内に入れさせ、兵を派遣して五千を豊都市(ほうとし)に、五千は上春門(じょうしゅんもん)に、五千は北邙山(ほくぼうざん)駐屯(ちゅうとん)させ、分けて九つの陣を作り、先頭部分と最後尾が緊密に連携し、それによって李密の攻撃に備えた。


訳者注


上春門(じょうしゅんもん)


(ずい)洛陽(らくよう)城の洛河(らくが)を挟んで北側の外城(がいじょう)(隋洛陽城北東部)の東の門。


唐代(とうだい)の呼称は上東門(じょうとうもん)


北邙山(ほくぼうざん)


現・河南(かなん)省洛陽市の北東にある。

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