表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/139

隋紀六 大業11(615)年 (10)-大器の片鱗-

 8月24日、煬帝(ようだい)は天下に詔して兵を募った。


 そして太守(たいしゅ)(郡の長官)・県令(けんれい)(県の長官)達は呼びかけに応じ、競い合うように国の危難を救うために駆けつけた。


 ところで李淵(りえん)の子である李世民(りせいみん)の年は十六、彼は(つの)りに応じて屯衛(とんえい)将軍・雲定興(うんていこう)に属し、そして彼は雲定興へ兵に多くの旗と戦鼓(せんこ)を持たせて、疑兵(ぎへい)(兵が多くいるように敵に見せかける)の計を用いるように説いた。


始畢(しひつ)が敢えて挙兵して陛下を包囲したのは、必ず我等が急いで陛下のもとに赴き、お(たす)けすることが出来ないと考えたゆえです。そこで我等が取るべき策として、昼は旗を掲げて数十里に渡って途切れさせず、夜は(かね)を叩き戦鼓を打って互いに響かせれば、突厥(とっけつ)の者どもは必ず救援の軍が大いに至ったと思い、恐れをなして逃れ去ります。さもなければ、突厥は数が多く我等は少ないため、もし突厥が全軍で我等のもとにやって来て戦えば、絶対に支えきることは出来ません」と。


 そして雲定興はこの李世民の言に従った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ