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隋紀七 大業13(617)年 (20)
河南討捕大使の裴仁基は賊を破って軍需物資を獲得する度に、全てを兵士達に褒美として与えようとしたが、監軍御史(軍の監察官)の蕭懐静は賛成しなかったので、兵士達は彼(蕭懐静)を恨み、蕭懐静はさらに度々裴仁基の過失を捜して弾劾の上奏をした。
また2月に李密と劉長恭等(隋軍)とのあいだで行われた、洛口倉城の戦いにおいて、裴仁基は隋軍が戦場に合流する期日に間に合わず、そして彼は劉長恭等が敗北したことを聞いたので、李密を恐れ敢えて進軍せず、百花谷(河南省鞏義市東部)に駐屯し、陣営の守りを固めたため、重ねて罪により朝廷から処罰されることを恐れた。
訳者注
※弾劾(罪や不正をはっきりさせて、責任を取らせるよう求めること)
※上奏(皇帝に意見や事情などを述べること)




