表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

65/139

隋紀七 大業13(617)年 (19)

 李密(りみつ)孟讓(もうじょう)総管(そうかん)(司令官)に任命、斉郡公(せいぐんこう)に封じ、4月9日夜、孟讓は步、騎兵(合わせ)二千を率いて東都(とうと)外城(がいじょう)(一般居住区)に攻め込み、豊都市(ほうとし)(東都にある三つの(いち)の一つ)に火を放って略奪し、夜明けになって去った。


 これにより東京(とうけい)の外城に居住している民は、皆移動して宮城(きゅうじょう)に入ったため、尚書(しょうしょ)省、門下(もんか)省、中書(ちょうしょ)省、その他の官庁は全て満杯になった。


 一方(河南郡)(きょう)県令の柴孝和(さいこうわ)監察御史(かんさつぎょし)鄭頲(ていてい)は城ごと李密に降ったので、そこで彼は柴孝和を護軍(ごぐん)に、鄭頲を右長史(うちょうし)に任命した。


訳者注


外城(がいじょう)


中国の都城(とじょう)は基本的に皇帝の住む宮城(きゅうじょう)、中央省庁が集まる内城(ないじょう)皇城(こうじょう))、宮城と内城の外側を囲む外城からなる。


東京(とうけい)


東都と意味は同じ、洛陽(らくよう)のこと。


宮城(きゅうじょう)


(とう)長安(ちょうあん)の宮城には皇帝の居住および、儀式を行なうための宮殿や門下(もんか)省、中書(ちゅうしょ)省などの最重要官庁があった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ