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隋紀七 大業13(617)年 (19)
李密は孟讓を総管(司令官)に任命、斉郡公に封じ、4月9日夜、孟讓は步、騎兵(合わせ)二千を率いて東都の外城(一般居住区)に攻め込み、豊都市(東都にある三つの市の一つ)に火を放って略奪し、夜明けになって去った。
これにより東京の外城に居住している民は、皆移動して宮城に入ったため、尚書省、門下省、中書省、その他の官庁は全て満杯になった。
一方(河南郡)鞏県令の柴孝和、監察御史の鄭頲は城ごと李密に降ったので、そこで彼は柴孝和を護軍に、鄭頲を右長史に任命した。
訳者注
※外城
中国の都城は基本的に皇帝の住む宮城、中央省庁が集まる内城(皇城)、宮城と内城の外側を囲む外城からなる。
※東京
東都と意味は同じ、洛陽のこと。
※宮城
唐の長安の宮城には皇帝の居住および、儀式を行なうための宮殿や門下省、中書省などの最重要官庁があった。