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隋紀七 大業13(617)年 (15)
梁師都は雕陰、弘化、延安等の郡を攻め落とし、皇帝に即位、国号を梁として、年号を永隆と定めた。
始畢可汗は梁師都に狼頭旗を贈り、彼の称号を大度毗伽可汗とした。
梁師都はそこで突厥人を引き入れて河套(黄河が几の字のように流れる地域)の南の地に居住させ、塩川郡を攻略した。
左翊衛府に属する衛兵で(馮翊郡)蒲城(県)の人郭子和は、事件によって有罪となり楡林郡に流された。
そしてちょうど楡林郡中が大飢饉に遭遇していたため、郭子和は密かに決死の士十八人と結びついて、楡林郡城(楡林城)の門を攻めて突破し、郡丞の王才を捕らえ、民の苦しみを思い遣らないことを責めて王才を斬り、食糧庫を開き民に施して救済した。