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隋紀七 大業13(617)年 (12) -魏公就任-
翟譲はこの機会に李密を推戴して主となし、李密に尊号(尊称)を奉って魏公とし、2月19日、儀式を行なうための壇を設けて李密は即位、年号を定めて永平元年と称し大赦を行なった。
さらにその公文書を通達する場合は行軍元帥府とサインし、その魏公府には三司(三公)、六衛を置き、元帥府には長史(補佐官)以下の官吏を置いた。
また翟譲に官職や爵位を授けて上柱国、司徒、東郡公とし、さらに東郡公府にも長史以下の官吏を置いて、その数を元帥府の半分とし、単雄信を左武候大将軍、徐世勣を右武候大将軍に任命して、各々の部隊を率いさせ、房彦藻を元帥左長史、東郡の人の邴元真を右長史に任命、楊徳方を左司馬、鄭徳韜を右司馬、祖君彦を記室に任命し、その他の者に授けた官職と爵位には各々差があった。
訳者注
※三公(三司)
三公は中国・漢代の三つの最高官職であり、後漢期に名称を司徒、太尉、司空と改めた。
そして時代が下り隋末(この時代)には実権のない名誉職となっていた。
※六衛(禁軍(近衛軍)→君主を護衛する直属の軍)