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隋紀七 大業13(617)年 (7)
そんな訳でこの状況を考慮して、李密は翟譲に言った。
「事ここに至っては、僕等の計画を発動しないわけにはいかない。
それはなぜかといえば兵法に云う『先んずれば則ち己に制せられ、後るれば則ち人に制せらる』と。
(人より先に行動を起こせば、それによって自分が主導権を握り支配できるが、後れを取ればそれにより人に主導権を握られ支配されるという意味)
そして今民が飢饉に苦しんでいる状況を考えると、洛口倉には穀物の蓄えが多く、東都から百里(隋唐の一里は531m)余り離れていて、翟将軍がもし自ら大軍を率い、軽装備で急速行軍して洛口倉を不意打ちすれば、東都の留守政府は、遠くにあって洛口倉を救うことができず、その上事前に警戒をしていないため、これを奪取することは他人が落としたものを拾うくらい簡単だ」と。
訳者注
※洛口倉
現河南省鞏義市の東北にかつて存在した巨大な穀物倉庫。




