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隋紀七 大業13(617)年 (6)
李密は翟讓に説いた。
「今の東都(洛陽)は中身が伴わない上、兵士は普段から訓練を受けず、越王は幼く、留守政府の官僚達が発する政令は一貫性がないため、民の心は彼らから離れている。
さらに東都の留守である段達や元文都は、愚かでしかも計略は無く、僕がこれを見立てるに、彼らは翟将軍の敵では無い(彼らは翟将軍に対抗するだけの力量がない)
それゆえもし翟将軍が僕の計略を用いるならば、天下に号令をかけて平定できる」と。
そして李密は自身の党派に属する裴叔方を派遣して東都の内情を偵察させたが、留守政府の役人がこれに気付き、そこで彼らは初めて東都の防御を強化して、さらに上奏文を持たせた早馬を飛ばし江都に報告した(煬帝に上奏させた)
訳者注
※ 越王
煬帝の孫・楊侗のこと、煬帝の代理として東都の統治を任されていた。
※留守
留守は都や副都などの重要な地に皇帝が不在の時、代理としてその地を治める者のこと。
皇太子や重臣、大臣等が任された。
※ 僕
自らを謙遜してこう言う。