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隋紀七 大業13(617)年 (5)
2月8日、王仁恭が官庁で政務を処理していたところに、劉武周は拝謁を求め、彼の党派である張万歲等は劉武周に随って、王仁恭の執務をしている場所に入り、彼のもとへ続く階段を登って王仁恭を斬り、彼の首を持ち官庁から出て人々に示したが、馬邑郡の住民であえてそれに反発して動く者はいなかった。
そしてそれにより劉武周は官庫を開いて飢えた民を救済し、檄文(自分の主張を述べて人々に行動を促す文書)を馬邑郡に属する城へ素早く送り、全てこれを降伏させ、兵を集めて一万人余りを得た。
そして劉武周は太守を自称、使者を派遣して(東)突厥に服属した。




