隋紀六 大業11(615)年 (8)-雁門包囲-中
左衛大将軍・宇文述は煬帝に精鋭数千騎を選び、東突厥軍の包囲を突破して脱出することを勧めたが、納言の蘇威は言った。
「雁門城を守れば我が方はまだ余力が有ります、けれども軽騎兵の扱いは突厥が得意とするところです。まして陛下は天下の主であられますのに、どうして軽はずみに動くべきでしょうか!(動くべきではありません)」
さらに民部尚書の樊子蓋が言った。
「陛下が危機に際して幸運により、そのような事態を免れようと期待されましても、一度追い詰められましたなら、この事を悔まれても、それが何になりますか!(何にもなりません)、ですからここは守備が堅い雁門城を頼りとして、敵の勢いを挫く他なく、それゆえ陛下は雁門城に腰を落ち着けられて天下の兵を徴発し、彼らを雁門城に進ませて援軍とすべきです。そのためには陛下御自ら兵士達を見舞って励まされ、彼らを諭すに、再び遼東征伐(高句麗遠征)を行わないことを約束され、手厚く功績によって官職を与えられるならば、必ず人々は自ら奮い立ちますので、そうであるならばどうして、成功しないこと憂う必要がありましょうか!(憂う必要はありません)」と。
さらに内史侍郎の蕭瑀が言った。
「突厥の風習では、可賀敦(突厥の可汗の妻)は軍事の謀議に参画し、また義成公主は先帝の公主(皇女)という形式で、突厥の可汗に嫁がれたので、必ず我朝(我が国)の援護を頼みとしています。ですのでもし一人の使者を派遣して、義成公主にこの事を告げさせて、たとえそれが無益であっても、どのような損があると言うというのでしょうか?(損はありません)また将兵の不安は、恐らく陛下がまさに突厥の災いから免れられましたならば、再び遼東征伐を行なわれることにありますから、もし明らかに詔書を発し、諭して高句麗を赦し、突厥討伐に専念することを約束されるなら、人々の心は皆安定し、人は自ら戦います」と。
蕭瑀は(煬帝の)蕭皇后の弟である。
さらに虞世基もまた煬帝に重く褒美を与えることを勧め、詔書を発して遼東征伐を停止することを進言した。
そして煬帝はこの進言に従った。