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隋紀七 大業12(616)年 (33)
(東)突厥は度々隋の北の辺境に侵攻して来たので、煬帝は晋陽(太原)留守の李淵に詔(皇帝の命令)を下して太原道の兵を率い、馬邑郡の太守である王仁恭と共に突厥軍を攻撃させた。
この時突厥はまさに強大で、さらに李淵と王仁恭の軍を合わせても兵の数は五千に満たないため、王仁恭はこの事を憂慮した。
そこで李淵は騎射が巧みな者二千人を選んで、彼らの飲食や日常生活を全く突厥人と同じにさせ、ある時その李淵が訓練した(突厥兵に偽装させた)騎兵が突厥兵に遭遇すれば、タイミングを見計らってそれを攻撃させ、前後度々勝利し、その結果突厥は非常にこの騎兵部隊を恐れた。
訳者注
※突厥
この頃中国の北方に存在したトルコ系遊牧民族(遊牧国家)、隋初に東西に分裂した。