隋紀六 大業11(615)年 (7)-雁門包囲-上
8月8日、始畢可汗は数十万騎を率いて煬帝の車駕(皇帝の馬車)を襲撃しようと謀ったので、義成公主(隋の宗室(同族)の女性、この時は始畢可汗の妻)は先に使者を派遣して煬帝に変事が起こることを報告した。
8月12日、煬帝の車駕は駆けて雁門郡(雁門(県)城)に入り、斉王・楊暕(煬帝の次男)は後軍を率いて崞県を守った。
8月13日、東突厥軍が雁門城を包囲すると、上も下も恐れおののき、民家を解体して防御設備を作り、城中には兵士と民が十五万人いたが、食糧はわずかに二十日持ちこたえることが出来る分しかなく、そして雁門郡・四十一城のうち、東突厥軍は三十九城を攻め落とし、ただ雁門城と崞(県)城のみ落ちなかった。
そこで東突厥軍は速やかに雁門城を攻め、矢は煬帝の眼前に届き、煬帝は大いに恐れ、趙王・楊杲(煬帝の三男)を抱いて泣き、目はパンパンに腫れあがった。
訳者注
※王は中国の歴代王朝において前漢以降、基本的に国王ではなく皇族男子を指す称号になった。
※雁門郡(政庁所在地は雁門(県)城)
※中国では古代から現代に至るまで県は行政区画としては小さく、郡県制において県は郡に属する。