表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/139

隋紀六 大業11(615)年 (7)-雁門包囲-上

 8月8日、始畢可汗(しひつかかん)は数十万騎を率いて煬帝(ようだい)車駕(しゃが)(皇帝の馬車)を襲撃しようと謀ったので、義成公主(ぎせいこうしゅ)(隋の宗室(そうしつ)(同族)の女性、この時は始畢可汗の妻)は先に使者を派遣して煬帝に変事が起こることを報告した。


 8月12日、煬帝の車駕は駆けて雁門(がんもん)郡(雁門(県)城)に入り、斉王(せいおう)楊暕(ようかん)(煬帝の次男)は後軍(こうぐん)を率いて崞県(かくけん)を守った。


 8月13日、東突厥(ひがしとっけつ)軍が雁門城を包囲すると、上も下も恐れおののき、民家を解体して防御設備を作り、城中には兵士と民が十五万人いたが、食糧はわずかに二十日持ちこたえることが出来る分しかなく、そして雁門郡・四十一城のうち、東突厥軍は三十九城を攻め落とし、ただ雁門城と崞(県)城のみ落ちなかった。


 そこで東突厥軍は速やかに雁門城を攻め、矢は煬帝の眼前に届き、煬帝は大いに恐れ、趙王(ちょうおう)楊杲(ようこう)(煬帝の三男)を抱いて泣き、目はパンパンに腫れあがった。


訳者注


※王は中国の歴代王朝において前漢(ぜんかん)以降、基本的に国王ではなく皇族男子を指す称号になった。


雁門郡(がんもんぐん)政庁(せいちょう)所在地は雁門(県)城)


※中国では古代から現代に至るまで県は行政区画としては小さく、郡県制(ぐんけんせい)において県は郡に属する。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ