隋紀七 大業12(616)年 (25)
一方楊義臣は勝った勢いに乗って平原郡に至り、高雞泊に進入して竇建徳を討つことを望んだ。
そのような状況の中竇建德は高士達に言った。
「隋の将を見渡してみると、巧みに兵を用いること楊義臣に勝る者は無く、加えて今、張金称を滅ぼした勢いに乗りこちらにやって来たので、その勢いとまともにぶつかるべきではない。
そこで兵を率いて楊義臣を避けることを私は東海公(高士達)に求め、それによって楊義臣が戦いを望んでも出来ない状況にし、何も成せぬまま時を費やさせ、彼の将兵が疲労するのを待って、それにつけ込み攻撃をかければ、楊義臣を破ることが出来る。しかしそのようにしないのであれば、恐らく東海公が敵う相手ではない」と。
けれども高士達は彼の言に従わず、竇建德を留めて本営を守らせ、自ら精兵を率い楊義臣を迎撃してわずかに勝ち、それに気を良くして盛大に宴会を開き飲んだくれた。
竇建德は高士達のそのような様子を聞いて言った
「東海公は未だ敵を破ったわけではないのに、突然思い上がってしまった、そんな状態では彼に禍いが及ぶまでそう時間はかからないだろう!」と。
それから五日後、楊義臣は高士達を大破し、陣において彼を斬り、勝った勢いに乗り残党を追撃して、その本営に向かい、本営を守る兵は皆散り散りとなった。
訳者注
※高雞泊
現河北省衡水市故城県西南、当時竇建徳の根拠地であった。