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隋紀七 大業12(616)年 (22)
煬帝は親族を冷遇したため、蔡王楊智積(煬帝の父方の従兄弟)は常に不安にかられ、病に冒されても医者を呼ばず、臨終の時親しい者に言った。
「私は今日初めて首がつながったまま(処刑されないで)あの世に行けると知った」と。
ところで張金称、郝孝德、孫宣雅、高士達、楊公卿等の群盗は、河北に侵攻して略奪、郡県を攻め落として虐殺を行い、隋の将軍は敗滅する者が相次いだが、ただ虎賁中郎将で蒲城の人王辯、清河郡の郡丞で華陰の人楊善会だけは度々戦功を挙げ、特に楊善会は賊と前後七百回余り戦い、敗北したことがなかった。




