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隋紀七 大業12(616)年 (17)

 時に賈雄(かゆう)という者がいて、陰陽(いんよう)や占いに通じ、翟讓(たくじょう)の軍師となり、その発言が翟譲に用いられない事はなかった。


 そして李密(りみつ)蒲山公(ほざんこう))は深く賈雄と交遊を結び,彼の占術(せんじゅつ)を頼みとして翟讓を説得させようとし、賈雄はそれを承諾したが、しかしその事を思っていても翟譲に未だ伝えることはできなかった。


 だが思いがけず翟讓が賈雄を召して、彼に語ったのは李密が翟譲に言った計略について、その可否(かひ)を問うことであり、賈雄はそれに対して答えた。


「あまりにも良いことでありますので、それについて口にすることができません」と。


 さらに彼は言った


「翟将軍が自立されても恐らく成功しないでしょうが、もし蒲山公を立てれば、大事が成らないことはないでしょう」


 翟讓はそれに対して言った。


(けい)の言う通りであれば、蒲山公は自立すべきであり、それがなぜ瓦崗寨(がこうさい)に来て私に従うのか?」と。


 賈雄はそれに答えた。


「物事には関連があります。蒲山公が瓦崗寨に来た理由は、将軍の姓が翟であり、(たく)(たく)(たく))と同音で、()(がま)は澤でなければ生えません。それゆえ蒲山公は翟将軍を必要とするのです」と。


 翟讓は賈雄の言をその通りであると納得し、それをきっかけに李密との親交は日に日に厚くなった。


 そして李密は親交を深めたことにより再び翟讓に語った。


「今天下は沸騰し、民衆は耕作をすることができず、将軍は兵士が多いと言っても、兵糧は倉に無く、ただ物資を郊外で略奪し、常に兵糧の不足に苦しんでいる。


もしこのまま何の対策もせずいたずらに時を過ごし、その上大敵にこの状態で遭遇すれば,必ず兵士は離散(りさん)する。


そのような事態を防ぐためには、()滎陽(けいよう)郡を奪取する以外になく、それに成功したら兵士を休息させ、倉に蓄えられた食糧を取らせて、軍が精強(せいきょう)になるのを待ち、それから人と勝利を争えばよい」と。


 そして翟讓はこの言に従い、それによって(滎陽郡にある)金隄関(きんていかん)を攻め落とし,滎陽郡の諸県を攻め、多くの県を攻略した。




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