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隋紀六 大業11(615)年 (6)

 秋、8月5日、煬帝(ようだい)北塞(ほくさい)を巡幸した。


 初め、裴矩(はいく)東突厥(ひがしとっけつ)始畢可汗(しひつかかん)の部族の勢いが段々と盛んになると、煬帝に献策(けんさく)してその勢力を分けようとし、宗室(そうしつ)(皇帝の同族)の娘を始畢可汗の弟・叱吉設(しつきつせつ)降嫁(こうか)(皇族の女性が臣下に嫁ぐこと)させることを望み、叱吉設を封じて南面(なんめん)可汗としたが、叱吉設はそれを辞退して受けず、始畢可汗はこれを聞いて段々と(ずい)を怨むようになった。


 東突厥の臣、史蜀胡悉(ししょくこしつ)は謀略を得意とし、始畢可汗の寵愛(ちょうあい)・信任するところとなり、そこで裴矩は詐って史蜀胡悉と互市(ごし)(中国の歴代王朝が公認した国境での対外交易、またそれを行なう場所)を行なうと言い、史蜀胡悉を誘って馬邑(ばゆう)郡に至らせ、彼を殺した。


 そして煬帝は使者を派遣し始畢可汗に(みことのり)して言った。


「史蜀胡悉は可汗に(そむ)きこちらに来て投降したので、(ちん)はすでに可汗のために史蜀胡悉を斬った」と。


 それによって始畢可汗は史蜀胡悉の状況を知り、この事が原因で隋の朝廷に参内(さんだい)しなくなった。


 


 

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