3/139
隋紀六 大業11(615)年 (6)
秋、8月5日、煬帝は北塞を巡幸した。
初め、裴矩は東突厥の始畢可汗の部族の勢いが段々と盛んになると、煬帝に献策してその勢力を分けようとし、宗室(皇帝の同族)の娘を始畢可汗の弟・叱吉設に降嫁(皇族の女性が臣下に嫁ぐこと)させることを望み、叱吉設を封じて南面可汗としたが、叱吉設はそれを辞退して受けず、始畢可汗はこれを聞いて段々と隋を怨むようになった。
東突厥の臣、史蜀胡悉は謀略を得意とし、始畢可汗の寵愛・信任するところとなり、そこで裴矩は詐って史蜀胡悉と互市(中国の歴代王朝が公認した国境での対外交易、またそれを行なう場所)を行なうと言い、史蜀胡悉を誘って馬邑郡に至らせ、彼を殺した。
そして煬帝は使者を派遣し始畢可汗に詔して言った。
「史蜀胡悉は可汗に叛きこちらに来て投降したので、朕はすでに可汗のために史蜀胡悉を斬った」と。
それによって始畢可汗は史蜀胡悉の状況を知り、この事が原因で隋の朝廷に参内しなくなった。