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隋紀七 大業12(616)年 (15)-桃李章-

 ちょうど李玄英(りげんえい)という者がおり、東都(とうと)より逃げて来て、群盗(ぐんとう)を渡り歩き、李密(りみつ)を探し求めながら人々に言った。


蒲山公(ほざんこう)(李密の爵位(しゃくい))がまさに(ずい)に代わるべきである」と。


 人々はその理由を彼に問うたので、李玄英は言った。


「最近民間で流行している歌に、桃李章(とうりしょう)というものがあり、その中で歌われている。


桃李子(とうりし)、皇后揚州(ようしゅう)江都(こうと))を(めぐ)り(巡り)、花園(かえん)(うち)(内)に宛転(えんてん)す(転倒する)。浪語(ろうご)する(なか)れ、誰か()()う!』と。


 そして歌の言葉を説明すると『桃李子』とは、逃亡者である李氏の子(李密)のことを言っているのであり((とう)(とう)を掛けている)、(こう)(こう)はいずれも君主のことである。


 さらに『花園の裏(内)に宛転す』とは、天子(てんし)(皇帝→煬帝(ようだい))が揚州(江都)にいて中央に還る日が無いことと、まさに「溝壑(こうがく)(溝や谷間)に転落」(道端で野垂れ死に)するであろうことを指し、『浪語する勿れ(むやみに話すべきではないぞ)、誰か許く道う』(誰だこのようなことを言っているのは)とは、秘『(みつ)』にすべきことという意味で、蒲山公(李密)の(いみな)(名の『密』)と符合している、それが蒲山公が隋に代わるべき理由だ」と。


 そして李玄英はそれほど時を経ずに李密と会い、それにより李密のもとに身を寄せて、彼に仕えることができた。


訳者注


 李玄英の言っていることを要約すると、「桃李章」は予言であり、間もなく天下を失う煬帝に代わって天下の主になる(天命がある)のは、置かれた状況(逃亡者の李氏であること)や名の「密」が、予言と一致している李密であるということ。



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