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隋紀六 大業11(615)年 (5)

 3月17日、煬帝(ようだい)太原(たいげん)行幸(ぎょうこう)し、夏、4月、汾陽宮(ふんようきゅう)に行幸して避暑した。


 しかし汾陽宮内は狭く、百官(ひゃっかん)や兵士は山谷(さんこく)の間に散らばり、茅草(ぼうそう)を編んで簡素な家屋を建て、これに居住した。


 煬帝は衞尉少卿(えいいしょうけい)李淵(りえん)山西(さんせい)河東(かとう)撫慰大使(ぶいたいし)にし、承制(しょうせい)(皇帝の代行として官を任命する事)させて、黜陟(ちゅっちょく)(官の昇進と降格を司る)させ、郡県の文武の官を選抜して補充させ、さらに河東の兵を徴発し群盗(ぐんとう)を討伐して捕らえさせた。


 そして李淵は行軍して龍門(りゅうもん)に至り、賊の頭目・毋端児(ぶたんじ)を攻撃し、これを破った。

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