2/139
隋紀六 大業11(615)年 (5)
3月17日、煬帝は太原に行幸し、夏、4月、汾陽宮に行幸して避暑した。
しかし汾陽宮内は狭く、百官や兵士は山谷の間に散らばり、茅草を編んで簡素な家屋を建て、これに居住した。
煬帝は衞尉少卿・李淵を山西、河東撫慰大使にし、承制(皇帝の代行として官を任命する事)させて、黜陟(官の昇進と降格を司る)させ、郡県の文武の官を選抜して補充させ、さらに河東の兵を徴発し群盗を討伐して捕らえさせた。
そして李淵は行軍して龍門に至り、賊の頭目・毋端児を攻撃し、これを破った。