隋紀七 大業12(616)年 (6)
そして蘇威が煬帝のもとから退出した後、御史大夫の裴蘊は上奏した。
「これは大いに不遜であります!天下のどこに多くの賊がおりましょうか!」(いやおりません!)と。
それに対して煬帝は答えた。
「あの古狸めは偽りが多く、賊にかこつけて朕を脅した!よってその頬を打ちたいとは思うが、しばらくはまた耐えることにした」と。
しかし裴蘊は煬帝の真意を知っていたので、河南郡の平民である張行本を派遣して上奏させた。
「蘇房公は以前高陽において、人材を選抜し官職を授ける事務を司っていた時、むやみやたらに官職を授け、加えて突厥を恐れ、陛下に京師(都)へ還ることを求めました」と。
そこで煬帝はその事を調査させて、罪を作り上げ、詔を下して蘇威の罪状を数え、官籍から名を除いて平民(官位や爵位を持たない一般人、庶民)とした。
それから一月余り後、再び蘇威と突厥が結託して、密かに謀反を計画していると上奏する者があり、煬帝はこの件ついて裴蘊に命じて蘇威を追及させ、裴蘊は蘇威に死刑の判定を下した。
蘇威はそれに対して自らの無実を証明する方法が無く、ただ悲しげに謝罪するのみであった。
しかしさすがに煬帝も哀れんで蘇威を釈放し言った。
「未だ本当に蘇威を殺すに忍びない」と。
そこで蘇威の子孫を三代にわたり、皆官籍から名を除いた。
訳者注
※朕は皇帝の一人称




