隋紀七 大業12(616)年 (5)-五子之歌-
それから間もなく5月5日(端午の節句)となり、百官(官僚達)の多くは煬帝に貴重な品を献上したが、蘇威はただ一人尚書を献上した。
そのことである者が煬帝に蘇威を謗った。
「尚書には五子之歌があり、蘇房公の陛下に対する意思は大いに不遜であります」と。
それを聞いた煬帝は蘇威に対して益々怒った。
そのような事があってからさほど時を経ずに、煬帝は蘇威に対する質問に高句麗(遼東)征伐のことを取り上げ、蘇威は煬帝が天下に群盗が多いと知ることを望んだので、それに対して答えた。
「今回の遼東(高句麗)遠征について、臣としましては願わくば官軍の出兵をされず、ただ群盗をお赦しになれば、自ずから数十万の兵を得ることが出来ますので、これらの者達を派遣して遼東(高句麗)を征伐なされば、彼ら(群盗)は罪を赦されることを喜び、競って戦いに力を尽くし功を立てるため、それにより高句麗を滅ぼすことが出来るでしょう」と。
しかし煬帝は蘇威の進言を喜ばなかった。
訳者注
※五子之歌、夏の太康が逸楽・遊楽にふけり国を失なった事を述べた歌。
※「尚書には五子之歌があり」とは?
蘇威が煬帝に尚書を献上した事は、尚書にある五子之歌において表現された夏の太康の振る舞いと、現在の煬帝の行ないを重ね合せ、暗に煬帝を批判する意図があるのだという意味(『資治通鑑』胡三省注より←意訳、要約)
※ 蘇房公(房公は蘇威の爵位)




