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隋紀七 大業12(616)年 (3)-避けられない道-
3月3日、張金称は(武安郡の)平恩県を攻め落として、ひと朝で男女一万人余りを殺し、さらに(武安郡の)武安、(襄国郡の)鉅鹿、(清河郡の)清陽の諸県を攻め落とした。
そして張金称は諸々の群盗中最も残忍暴虐で、彼の軍が通過した所は民が一人も残っていなかった。
夏、4月1日、大業殿の西院から出火し、それ対して煬帝は盗賊がやって来たと思い、驚いて逃げ、西苑に入って草むらに隠れ、火が収まってようやく宮中に還った。
煬帝は大業八(612)年以後、每夜眠っている最中に不安で、しきりに胸がどきどきして目が覚め、「賊有り」と叫び、その度に何人かの婦人に(命じ)、体を揺らされながら撫でられて、やっと眠りにつくことが出来た。
4月7日、歴山飛の部将・甄翟児は軍勢十万を率いて太原に侵攻し、将軍・潘長文は彼に敗北して死んだ。
5月1日、日食が起こり、月が太陽を全て覆い隠した。
5月9日、煬帝は景華宮において、蛍の光を求めて蛍を集め、そして数石(1石は16.7kg)の蛍を得、夜外出し山に遊び行って、蛍を放ち、蛍の光は山と谷間に満ちた。




