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プロセントシリーズ

const LISA = "あと5分";

作者: サモエド

 佐柳(さなぎ)ノレンは焦っていた。

 それはもう、尋常ではない手の震えで、手のひらが二重に見えるほどに。

 PCのログインパスワードを4回連続で打ち損じて、ようやく正しいパスワードを入力する。仕事場の古びたPCは唸りをあげて、一見正常にホーム画面を見せた。少し指を止めて安堵しかけた自分を心の中で罵る。


(PCが普通に起動したからセーフ…なわけね〜〜〜だろうがよ!!)


 始業時刻前の早朝にも関わらず、暦史書管理機構情報部第9課のせせこましいオフィスは淀んだ空気を渦巻かせていた。


 ………


挿絵(By みてみん)


 時は少し遡る。


 古びたアパートの一部屋。スペース下じき2枚分くらいのキッチン、昨日食べたカップラーメンの死骸とそれを目の前に置かれたトリプルディスプレイ、彼にとっては監獄めいた、居心地は悪くない部屋。

 チリトマトの刺激臭を浴びながらシンクへ残り汁を流した。時刻は午前6時半、ひと目でわかる退廃的な生活の割に早起きなのは、彼も一応勤め人であることを表している。

 目の前に垂れてくる鬱陶しい前髪を指ではじいて、クッションを蹴りどかしながら窓を少し開け、流れ込む外気に身震いしてすぐに閉めた。カーテンは開けない。彼のこの根城は、外界からの干渉を極力避けるためにあるからだ。

 光の入らない部屋の光源はデスクの上のトリプルディスプレイしかない。電気も付けずに、彼はつけっぱなしのディスプレイに照らされながらゲーミングチェアに座り込んだ。

 ブルーライトに目を晒しながら、佐柳はゲーミングチェアに沈み込む。彼はゲーミングチェアという名称が嫌いだった。仕事の都合上、椅子に長時間座るという理由で買ったもので、彼自身はほとんどゲームをしない。それでも、この椅子に座ることで、自分がニートのゲーム廃人になってしまったようで、というか傍から見たら確実にそう見えるだろうという点から、彼はこの椅子の名前が好きではなかった。

 閉じてしまいそうになる瞼をギリギリで引き上げる。


(…なんか腹に入れねえと、血糖値下がりすぎて永眠しそうだ)


 一旦目を閉じて目頭をグリグリと押す。その後勢いをつけて目を開くと、ゲーミングチェアから背を離して伸びをする。ふう、と一息ついてディスプレイに目をやって、飛び込んできた情報に佐柳は椅子から落ちかけた。


「…!?!?」


 デスクに手をかけてずり落ちかけた体を引き上げ、体から飛び出そうになる心臓を落ち着かせようと大きく呼吸をする。目の前のディスプレイには確かに、仕事場のPCのセキュリティソフトが無効化された通知と警告が表示されていた。


 ………


 そうして身支度もそこそこに、自宅のドアを蹴破る勢いで飛び出し駆けて仕事場(ここ)に至る。オフィスが徒歩圏内だったのが唯一の救いだった。通勤に電車で一時間もかかっていたならば、彼は心労で電車の床に嘔吐でもしていただろう。

 上着も脱がず、椅子にも座らず、ただ一心に打鍵しPCの状態を確認する。


「…ッ!!」


 冷や汗が背中を這うように吹きでる。

 そもそも備え付けられている機構のセキュリティソフト以外に、彼の設計したセキュリティソフト『AERA(アエラ)』というのが彼のPCを厳重に攻撃から守っている。…はずなのだが、朝見た通知の通り、機構のセキュリティ共々『AERA』は無力化されてしまっていた。


(待った、終わった?俺の人生終わった?)


 このPCに外部からの攻撃があったとして、その攻撃がセキュリティソフトのダウンのみ、なわけがない。何かしらの攻撃的なソフトやウイルスを入れ込まれたか、逆に何かしらのファイルを抜き取られたか。どちらにせよ、管理する記録に干渉されることは、この仕事場において最も忌避されるべきことだった。

 そこまで確認して、佐柳はうなだれた。彼は諦めた。脳裏には走馬灯めいて、これまでの人生が去来する。


(クソみたいな人生だった…気づけば親なし、中学中退、独学でプログラミング学んだところでまともな賃金じゃ働けねえし、拾ってもらったこの職場でもクソバカミスでクビになっちまうんだ…)


 そこでふと気づいた。


(…クビ?で済むか?え?………死ぬ?)


 彼はこの暦史書管理機構が、カタギではないことを知っていた。といってもヤクザではないのだが、扱う情報のヤバさから彼はこの仕事場を確実に普通ではない、と評価していた。情報の漏洩をした場合、最悪殺されてもおかしくない、と思うほどには。

 深く深く息を吸う。肺に空気が取り込まれ、自然にうなだれていた背中が反る。そうして彼は一度しっかりと立つと、鼻から太く短く空気を吐く。


「死んでたまるかよ…!」


 二十代前半、佐柳ノレン。ここで死ぬ覚悟は出来ていなかった。

 上着を脱ぎ捨て、デスクチェアにどっかと座り込む。デスクの端に置いてあったヘアピンを取り、前髪を掴んで上げて留める。視界が開け、目の前にたち現れる情報が一気に増えて脳を揺さぶる。目が覚めるような気分だった。これが彼の、いわゆる本気モード。


「なんとかして被害部分を調べ上げて、出来ることなら他部署のミスに偽装する…!!やるっきゃないぞ、佐柳ノレン!!」


 目的は褒められたものではなかったが、なんにせよ彼は恐ろしいスピードで手を動かし始める。始業時刻2時間前、彼の静かな戦いが幕を開けた。



 ………



 そうして始業時刻直前、彼はようやく見つけた。


「コイツか…ど〜やったらここまで巧妙に隠れられんだよ、こんなクソデカいデータがよ…!」


 普通にサーチしても引っかからないフォルダの海の奥深く、番犬(AERA)をのした痕跡から足跡をたどり、やっと探し当てた。佐柳は額の汗をぬぐう。

 モニターに表示されていたそのデータは、『LUNA』という名前が与えられていた。拡張子すら持たず、何枚ものダミーデータを被って佐柳のPCの奥底に横たわっていたデータを目の当たりにして、彼はたじろいだ。


「………!」


 何かしらの有害なウイルスやソフトが侵入していることは覚悟していた、だがそれ以上に、別の理由で彼は動揺していた。理由は彼自身にもはっきりとはしなかった。どことなく、初対面の人間と顔を合わせた時の焦りに似ているような気もした。

 クソッ、と悪態をつき、理由のわからない動揺を振り払う。


(時間をかけ過ぎた…今のところこのデータは悪さをした訳ではないっぽい、このまま消去してしまえば問題ないはず!!)


 佐柳の右手がマウスを走らせる。データを指定し、消去の操作を行う。


「…ん?」


 もう一度同じ操作をした。それでも、データを消去することはできなかった。

 佐柳は苛立ちを隠せない。普段見えることのない広いおでこにシワを寄せ、ぶつぶつと何事かつぶやきながらも別の方法を試し始める。


 そうして佐柳が7つ目のデータ消去方法を試そうとした時、唐突に一つの小さなウィンドウがポップアップした。佐柳は思わず手を止める。ウィンドウには、おおよそ正常ではないメッセージが表示されていた。


「…"うるさい"?」


 "うるさい"と記された小さなウィンドウは、他の全てのウィンドウより前面に、突きつけるように佐柳の目の前にあった。今まで目にしたことも聞いたこともない挙動に眉を顰めながら、ウィンドウの☒のマークを押し込む。するとそのウィンドウが消えた瞬間にまた新たに同じサイズのウィンドウがポップアップした。


「うおっ…"眠い"?」


 再度ウィンドウを消すも、新たにまた現れる。


「"あと5分"……??」


 さっぱり意味のわからないポップアップに佐柳は首をひねる。その後ろで画面を覗き込んでいた中年男性も首をひねった。


「なんだよこれ?佐柳お前、友達居なくてパソコンと喋り始めたのか?」

「うぉおおあああ!?!?」


 デスクチェアから跳ね跳んだ佐柳はその勢いのままモニターを抱きつくようにして隠す。


「くく久伝(くでん)さん!?!?いつから見てました!?!?」

「なんだよオイ、大丈夫だってお前の友達取ったりしねえから!安心しろ、誰でもそういう時期あるって!」

「そうじゃなくて!!」


 荒い鼻息で深呼吸をして落ち着こうとする佐柳。その様子を、伸び放題のヒゲをさすりながら久伝(くでん)トクゾウは困ったような目で見ていた。トクゾウ、というと老人のような名前だが、40代のくたびれた中年である。

 佐柳は恐る恐る聞く。


「なんの作業してたか…わかりましたか」


 対して久伝は眠そうに首をひねりながら答える。


「いやさっぱり。機械はすこしもわかんねえって、お前も知ってんだろ?だからお前に機械いじりは全部任せてんだよ」


 パソコンのことを機械って言うのそろそろやめろよ…と思いながらも、佐柳は安堵する。久伝はモニターを覗くのをやめてその場を離れると、自分のデスクに倒れ込むように収まった。彼、久伝トクゾウは、この暦史書管理機構情報部第9課の狭いオフィスに住み着いている第9課の課長だった。家にはほぼ帰っておらず、寝袋やら何やらを持ち込んでほとんど生活をしている。始業時刻になると起きてくるのだが、作業に夢中だった佐柳はそれに気付けなかった。


「あ〜〜〜…もうちょい寝るわ…」


 椅子にもたれかかった久伝は疲れの滲んだ声でそう言い残すと、顔を天井に向けて目をつむってしまった。始業時刻から二度寝する課長にイラッとしながら、佐柳は作業に戻ろうとする。

 次の瞬間、オフィスのドアが蹴破られた。


「ギリギリセーーーフ!!!」

「セーフじゃねえよ!!!」


 そのつんざくような叫び声に佐柳は思わず叫び返す。始業時刻5分過ぎ。全然セーフではない。

 その叫びは寝かけていた久伝も叩き起こした。ビクリと背を立てて周囲をキョロキョロと見回し、その声の主を見つける。

 蹴破られたドアの前には、派手な女が立っていた。


「なんスかノレンうっさいスよ朝から!!なんで怒鳴るんスか!?!?」

「オメ〜〜がうるせえんだろうがニリィ!!つーか間に合ってねえから!!」

「5分後行動っスよ5分後行動!!」

「聞いたことねえよ5分後行動!!意味ね〜〜だろうがよ!!」


 ニリと呼ばれた女の髪の色は深い赤色をしていた。石榴(ざくろ)ニリ、情報部第9課の最後の人員で、この三人で第9課の構成員は全部だった。

 ニリはドアを蹴り飛ばした勢いそのままオフィスに入室する。服装が派手な訳ではなかったが、何より目を引くのは身につけている石の多さだった。両腕にブレスレット、耳にはイヤリング、首にネックレス、指にリング、といった調子でそれぞれにデカい(ジュエル)を乗っけたアクセサリーがてんこ盛りである。


「むっ……クサ!!」


 ニリは唐突に鼻をつまむと、久伝に向き直り抗議の目を向ける。


「ちょっとカチョー、禁煙するって言ったじゃないスか!!どーしても吸うなら部屋の外で吸って欲しいんスけど!!」

「なんだよ何でバレんだ…吸ったの昨日の夜中だぞ…」

「ニオイが残るんスよ!!換気しても意味ないっスよタバコのニオイは!!」


 頭にガンガンと響く石榴の声に耐えかねたのか、佐柳が再開しようとした作業の手を止める。


「おまえよ〜〜なんでセリフ全部に(ビックリマーク)付くんだようるせえな!!仕事してんだよこっちは!!」

「そっちこそ(ビックリマーク)付いてるじゃないスか!!」

「どっちもうるせえよ………若者こわ………」


 大音量の応酬に挟まれ、耳を塞ぎながら椅子に沈む久伝。石榴は佐柳のデスクへ近づいていき、モニターを覗き込もうとする。


「バッ…おいやめろやめろ!!極秘!極秘のやつだからこれ!!」


 佐柳は慌てて体でガードしようとしたが、案外強靭な石榴の腕に押しのけられ(この場合佐柳が貧弱と言ったほうが正しいかもしれない)、モニターを覗かれてしまった。


「…なんスかこれ。ノレンが隠そうとしてるから、何か面白そうなモンでも見れるかと思ったんスけど…"やっぱりあと10分"?誰かと会話でもしてんスか、これ?」


 押しのけられた拍子にデスクチェアに収まって後ろにスライドしていった佐柳が、不機嫌そうな顔で立ち上がって後方から戻ってくる。


「そ~そ〜パソコンとお喋りしてんの。わかったら早く自分のデスクに戻ってくれ」


 そのわざとらしい不機嫌声に、石榴ニリは目ざとく反応した。人の機微を読み取ることが彼女のもっとも得意とするところで、それが佐柳が彼女のもっとも嫌っているところでもあった。


「…なーんか隠してんスか?」


 ギクリ、とわかりやすく動きの止まる佐柳。その目の前で、モニターのポップアップは"zzz"に表示を変える。石榴は目を合わせない佐柳の横顔に訝しげな表情を寄せると、こう言った。


「例えば…セキュリティ方面でトラブったとか。そうでもないと、ノレンがこんな時間から()()()()()()理由がないっスもんね?」


 佐柳の額をまた別の冷や汗が流れる。

 次の瞬間、オフィスのドアが前触れもなく開け放たれる。佐柳石榴久伝が弾かれたように一斉にそちらを見ると、そこには、白衣の女が立っていた。


「たのも〜〜〜〜〜」


 女はアンダーリムの眼鏡を光らせ、神妙な顔で固まっている三人を見回す。その場に漂っていた異変の残り香を嗅ぎ取ったかのように、彼女の視線は佐柳のPCへと注がれた。


「な〜んか面白そうなことしてんじゃん、私も混ぜてよ」


 佐柳の頬が引きつる。彼は知らない人間のことが嫌いだった。

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