つんつんツノ鬼みいつけた(下)
翌朝、つららが訪ねて行くと、お玄関先には3人の人が待っていました。不安を消したお母さんと、春らしいベージュのパンツ姿のおばあちゃんが、たーちゃんと一緒に立っています。お父さんは、もう会社に行きました。
「さゆりちゃん、ばーちゃん、おっかさん、おはようごぜえます」
つららは丁寧に腰を折って挨拶しました。
「ふふっ、おはよう。つららさん、昔の職人さんみたいね」
おばあちゃんは、少女のように笑って、車の鍵を取り出しました。車は格好いい黒でした。
「おはようつらら、ごはんたべた?」
「おう、昨日くれたぱんってやつで腹いっぺえな!」
おばあちゃんは、昨日おやつのあとで、つららにプチパンを1つラップにくるんで背負わせてあげたのです。
つららは小さいので、プチパン1つで充分夕朝2食になりました。
「おはよう。気をつけて行ってらっしゃい」
おばあちゃんから木の芽とひいひいおばあちゃんの友情を聞いたのか、お母さんも優しく見送ってくれました。
楽しくお喋りするうちに、二時間はあっという間に過ぎました。叢雲山につくと、おばあちゃんは麓の駐車場に車を停めました。
叢雲山は、それほど高くはありませんが、車で入れる道が無いのです。特に必要が無いからでしょう。
お山のてっぺんには、古い古い石の鳥居がありますが、お社はとうに無くなっておりました。
叢雲山は村の持ち物で、管理事務所は村役場にあります。きちんと管理されていて、今のところ、熊も蜂も出ない安全な山でした。遠足の子供たちも登ります。
「つららのおうち、みたい」
「おう、残ってるかわかんねえけどなっ」
不安を元気で誤魔化して、つららは山道を歩き始めます。
「つらら、のっていいよ」
たーちゃんは、つららをひょいと肩に乗せると、裾にフリルの付いたデニムのズボンで勇ましく足を踏み出します。
車は入れませんが、登山道は整備されています。おばあちゃんもついているので、たーちゃんは、迷わず頂上を目指しました。
難しい分かれ道には、木の幹に黄色や赤で目印がついております。おばあちゃんの顔を見上げると、頷いてくれるので、たーちゃんは、安心して進みます。
「お社は無くなったかあ」
てっぺんに到着するなり、つららは肩から飛び降りて大きな石の鳥居に走り寄りました。鳥居の周りは、樹を切って見晴台になっております。コンクリート製のベンチがふたつ、鉄道線路や遠くの町を臨む向きに置いてありました。
「おうい、雲鳥さあん!いねえのかい」
つららの呼び掛けに、何もない所に靄が現れました。つららを追いかけて鳥居に近づいていた、たーちゃんとおばあちゃんは驚いて立ち止まります。
「つらら!生きていたのか」
靄は虹色の鳥になり、長い垂れ尾を煌めかせてつららに答えました。
「ああ、良かった。村の門を開けてくれよ」
「いいけど、そっちの人間は?」
「恩人だ」
「それはそれは、山の者がお世話になりました」
「あら、まあ、いいええ」
おばあちゃんは、つらら達の事は知っていましたが、叢雲山の霊鳥については知らなかった様子です。もしかしたら、ひいひいおばあちゃんなら知っていたかも知れません。
「さあさあ、お礼にご馳走でも」
「ほんと?おなかすいた!」
たーちゃんが朝ごはんを食べてから、四時間くらい経っていました。ちょうどお腹が空いています。
「手ぶらで来てしまって」
おばあちゃんが恐縮すると、
「ばーちゃん、何言ってんだい。俺なんか、昨日さんざん世話んなったけど、まだ何もお返しできてねえぞ」
「そうですよ。さあ、どうぞ」
「おばあちゃん、いこうよ!」
「それじゃあ」
たーちゃんとおばあちゃんは、雲鳥さんとつららの招きを受けて、古い古い石の鳥居を潜りました。
「わあ」
そこは、四季の花木が咲き誇る美しい森でした。鮮やかな色の蝶が舞い、地味な小鳥が素晴らしい美声を響かせております。少し開けた所には、柔らかな薄布が敷かれ、見たこともない果物やきらびやかな野菜の料理が並んでいます。
布の上には、つららに似ている小さな鬼達が沢山並んで、楽しく騒いでおりました。体の色も角の色も、みんな違って見た目も賑やかです。
「こんにちは。川辺さくらと孫のさゆりです」
おばあちゃんが名乗ります。
「こんにちは」
たーちゃんも頭を下げました。
「こんにちは」
「こんにちは」
「よろしく」
「すわって」
「たべて」
小さな鬼達が、次々に口を開きます。
「みんな。長いこと居なくなってたつららだ」
雲鳥さんに紹介されて、つららも皆に挨拶します。
「知ってるやつは、もういねえけど、よろしくな」
つららは喉を詰まらせました。
「つららおじさんかい!」
緑色の若い鬼が、ぱっと立ち上がります。
「木の芽じいちゃんに聞いてるよ!」
「そうか!」
つららの涙は、嬉し涙です。
「氷柱みたいな透明な角をしたおじさんによく叱られたって」
「ははっ、あいつはいたずらだったからな!」
共に暮らした仲間はもう居ないけれど、つららは叢雲山の小さな鬼たちの村に帰ってくることが出来ました。
しかもこれからは、泥から掘り出してくれたたーちゃんと、優しいおばあちゃんも居るのです。
嬉しくない筈がありませんね。
「つらら、あそびにくる?」
「ああ、鬼の盃に乗りゃあ、ひとっとびさ」
おご馳走をお腹一杯たべたあと、石の鳥居まで見送ってくれたつららが言いました。鬼の里では、死んだ鬼の盃をしまっておく場所があるのです。つららの盃も、壊れずにしまってあったのでした。
「おじさん、乗せてあげたらいいのに」
一緒に見送りに出てきた緑の若者が言いました。
「何言ってんだおめえ。鬼の盃にゃ人間は大きすぎるよ」
「大きくすりゃいいだろ」
「え?」
緑の若者が何でもない風に言う言葉を聞いて戸惑うつららに、雲鳥さんが悪戯そうに片眼を瞑ってこういいました。
「私達だって進歩するのさ!ほれ、つららの盃を出してごらん」
つららは半信半疑で、虎縞の半ズボンのポケットから盃を取り出しました。盃が小さくなって入っていたのではなく、ポケットが不思議な力を持っているのだそうです。
「ほら」
たーちゃんの掌くらいの丹塗の盃を、雲鳥さんが虹色の翼でひと撫でいたします。
「大きさを思い浮かべてごらん」
雲鳥さんに言われると、つららはたーちゃんとおばあちゃんを見て、それから盃を眺めます。
ぽんっ。
たーちゃんの目の前で、つららの盃が大きくなりました。おばあちゃんと、たーちゃんと、つららが乗れるくらいです。
「わあっ、お話みたい」
たーちゃんは、大喜び。
「おばあちゃんは、車があるから」
おばあちゃんは、残念そうに断りました。
「そうかい?くるまごと乗せてもいいけど」
「そりゃいい」
雲鳥さんがもう一度つららの盃を撫でると、なんとおばあちゃんの車が盃の上に載っていました。
「重くないかしら?」
おばあちゃんは、心配そう。
「どんな重さも大丈夫さ」
雲鳥さんは、虹色の胸を張ります。それから羽に嘴を差し込んで、1本の羽を抜き取りました。
「これを持ってこの鳥居を潜れば、何時でも鬼の里に行かれるよ。羽を抜くのは1年に1本だから、たーちゃんの分は来年あげる。今年はおばあちゃんと一緒においで」
「うん!」
「ありがとうございます」
こうして、うっかり川に流されて、江戸時代から泥に埋まっていた小さな鬼のおじさんは、新しい仲間と素敵な人間のお友達と一緒に、楽しく暮らしてゆきました。
おしまい。