つんつんツノ鬼みいつけた(上)
つんつん角ぐむ芦原の根元に、溶け残った僅かな氷の欠片が留まっておりました。平たく見事な三角形です。お昼御飯のあとで川辺に降りた、たーちゃんは、脛まで泥に埋めながら不思議そうに氷の欠片を見詰めます。
たーちゃんは、ほんとうはさゆりちゃんと言うのですが、まだ上手に自分の名前を言えないのでした。
でも、この前4歳になりましたから、もう随分とお姉さんなのですよ?
お誕生日に買ってもらった綺麗な若草色のお靴は、汚れないようにもっと向こうに脱いできました。
可愛いフリルレースのついたお気に入りの靴下だって、ちゃあんと脱いでお靴の中に入れて置いたのですからね。
短い吊り紐つきのスカートを、パンツの裾に挟んで南瓜スタイルにしています。こうしておけば、白と黄緑のチェックをプリントしたご自慢のプリーツスカートの裾が汚れることはありません。
たーちゃんは、プラスチックの小さな熊手をせっせと動かして、少しだけ泥に埋まった氷の欠片を掘り出します。お手々が灰茶色になりますが、気にせずどんどん掘りました。
「ぷはーっ!」
氷の下には、泥だらけの顔がついていました。声はなんだかおじさんみたい。灰茶色したどろどろな顔の中で、円らな瞳が真っ黒に光っています。
たーちゃんは、目を真ん丸にして見ています。
「よう、嬢ちゃん、ありがとなあ」
顔をぶるぶるっと振って泥を飛ばしても、まだ元の色は解りません。口のなかは真っ赤です。小さなぎざぎざの歯が一列綺麗に生えていました。
跳ねた泥がお洋服についてしまいましたが、たーちゃんは、まだ黙っております。
「なあなあ、もうちいっとばかし、掘ってくんねえ?」
たーちゃんは、黙ってこくんと頷くと、またせっせと熊手を動かしました。
「おおっ」
顔のしたから今度は肩が現れて、それから胸も見え始めます。肘らしき所まで掘り進めると、そのへんな生き物は、ずぽっと音を立てて、泥だらけの小さな腕を引き抜きました。
「頑張れ嬢ちゃん、もうちょいだ」
またまたせっせと熊手を動かして、たーちゃんは、その生き物を腰まで掘り出しました。上半身は裸のようでしたが、下には何かをはいているようす。
その生き物は、たーちゃんが掘りやすいように、泥だらけの腕をバンザイしています。
「よしっあと少し」
太股が出てくると、その生き物は、自分でもぞもぞし始めました。たーちゃんは、思わず掘る手を止めたのでした。傷つけてしまうといけませんからね。
「あっ、わりい。やっぱもうちょい掘って」
その生き物が動きを止めると、たーちゃんは、こくんと頷いて熊手をもう一度動かしました。やっと膝らしき部分が現れました。着ているのは短いズボンのようでした。
熊手で寄せた灰茶の泥が、へんてこな生き物の回りをぐるりと囲み、ドーナツみたいに盛り上がっております。
「おっ」
とうとう足首が出てくると、その生き物は満面の笑みで片方の足を引き抜きました。回りは柔らかい泥なので、すぐにまた沈んでしまいます。でも、今度は反対の足を引き抜けば、ちゃんと前に進んで行けるのでした。
「あっ」
生き物の体の回りだけを掘って出来た、すり鉢状になった狭い穴の底では、すぐに壁に突き当たります。穴は10センチほどの深さです。
その生き物がバンザイしても、縁に手は届きません。穴の回りには、穴から掘り出した泥がまあるく盛り上がっているのですから。
へんてこな生き物は、口をへの字に曲げて腕を組みました。
たーちゃんが、ひょいっと摘まんでプラスチックの小さなバケツに入れてあげると、生き物の困り顔がぱあっと嬉しそうに輝きました。
「いやあ、ほんとに世話んなったな!」
たーちゃんは、もう一度こくんと頷くと、立ち上がって道端の水道まで行きました。そこは、子供達や釣り人が泥から上がって手足や道具、掘り出したゴカイやチゴガニを洗うためにあるのです。
たーちゃんとへんてこな生き物は、黙って一緒に水場を使いました。みるみる泥が落ちてゆき、生き物は顔から手から体から、足の先まで真っ赤なのだと解りました。
腰には虎縞の短いズボンのようなものを着けています。タオルで拭いて乾いてくると、驚いたことに、ぺちゃんこだった頭の透明な三角が膨らんできました。
「へへっ、やっと戻った」
へんてこな生き物は、芦の芽吹きみたいなふっくらとして尖った角を、小さな指でちょんとつついて自慢そう。
「嬢ちゃん、本当にありがとな!」
たーちゃんは、こくんと真顔で頷きました。
「俺、つらら。角が透明で氷柱みたいだろ?」
たーちゃんは、またこくんと頷きます。
「そんで、嬢ちゃんは?」
「たーり」
「ふん?おたあ坊か。」
「ぼうじゃないよっ」
つららは、とっても昔のひとみたい。でも、たーちゃんは、女の子をそんな風に呼んだ時代は知りません。ちょっぴり怒ってしまいました。
「ははっそうかい、おたあちゃん」
「おたあじゃないっ!たうり!」
「むっ、こりゃしまった。たうりさんかい」
「んっ!そ!たーい!」
たーちゃんは、やっと4歳になりましたので、まだまだ「り」の字も練習中です。
つららは、ん?と首を傾げてから、ぽんと手を打って言いました。
「あっ、さゆりちゃん、か」
たーちゃんは、霧が晴れたようなすっきりとした笑顔で大きく頷くと、つららの眼をじっと見ました。
「な。なんだい」
「ねえ、つららのおうちはどこ?」
「叢雲山だよ」
「かわのさいしょが、あるとこだね」
芦原のあるこの美澄川は、叢雲山から流れ出して来るのです。
「ほう、さゆりちゃんは賢いなあ」
「ん!」
得意そうなたーちゃんに、つららは親戚のおじさんみたいな優しい顔を向けました。
「でも、むらくもやま、とおいねえ」
「まあな。川に落ちて流されちまってな」
つららは決まり悪そうに透明な角を掻きました。
「いまからかえったら、よるになっちゃうねえ」
「まあ、なんとかなるさ」
たーちゃんは、また黙ってしまいました。
つららはにこっと笑うと、
「そんじゃ、またな」
と言って、川沿いの道を叢雲山へと歩き出しました。
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