第72話 逆鱗 ―R side―
俺は今日、視察も兼ねて酒場に来ていた。
ここの店主は俺が小さいときから知っている顔見知りだった。
俺の荒れていたときも知っているし、気軽に情報を貰え助けになっている。
客は俺を王子としてしか認識していないため、昔のようにはいかないけれど。
堅苦しくしてもダメ。
崩しすぎてもダメ。
難しいよ。
「やぁ、店主。繁盛してる?」
「ラファエル様、繁盛しているように見えるか?」
「見えるよ。満席じゃないか」
笑いながら店主に話しかけると、店主はニヤリと笑った。
店には接客係として女が何人も歩いている。
俺は唯一空いていたカウンター席、店主の目の前に座った。
「満席っつったって、今の民の懐は寒いからな。皆1杯だけ飲んでダベっているだけさ」
「それでも閑散としているより良いでしょ」
「まぁな」
店主が俺の前に酒を置いた。
「まだ頼んでないんだけどね」
「奢りだよ。良い感じに国を変えていってくれてるからな」
「上から目線何様だよ」
笑いながら酒を口にする。
「俺の力じゃない」
「お前が変えていっているからお前の力だろ?」
「違うよ。アイデアは俺の大切な人が出してくれているし、そのアイデアに必要な技術は王宮技術士がやってくれてる。俺はソレを指揮させて貰っているだけ」
「それでもお前が関わっている以上、お前の功績でもある。四の五の言わずに受け取っておけ」
相変わらずの店主に、俺は苦笑した。
最初俺を様で呼んだくせに、もうお前呼ばわりされている。
嫌じゃないから良いけどね。
ここの客も俺が来ても干渉しないようにしてくれている。
聞き耳は立てているようだけれど。
ここにいる間は個人で扱ってくれるから楽だ。
「それより大切な人ってお前の婚約者の王女様の事か?」
「そうだよ」
「まさかお前みたいなヤツに大切な女が出来るなんてなぁ」
「どういう意味だよ…」
「お前その顔で女寄って来まくりだったじゃねぇか。でも素っ気なく立ち去っていくんだもんな。そこが良いって女も居たが、大抵は怒って去って行く」
「知った相手でもないのに、馴れ馴れしく抱きついてくる女達の何処に惚れろと?」
頬杖つきながら言うと、苦笑された。
「そういうお前が、いつからか振り払わなくなったじゃないか。あの時既に想い人が出来てたって事だろ?」
「ぐっ……」
ソフィアを好きになって帰ってきた時の時期だろう。
好きな人が出来てから、俺は近づいてくる女達をついついソフィアと比べてしまい、そして叶わぬ恋なのだと諦めようとしていた。
その時のことも店主は知っているということ。
話してなかったのに。
「よかったな」
「いきなり何?」
「幸せなんだろ。今のお前」
店主に言われ、俺は笑みを浮かべた。
ほんのり頬が熱い。
赤くなっているかもしれない。
でも別に気にならなかった。
視線を手首に落とす。
ソフィアに貰ったカフリンクスを今日も付けてきた。
ポケットにはソフィアに作って貰ったハンカチも入っている。
ソフィアから貰ったものは何でも俺の宝物だ。
情報を貰ったら今日の仕事は終わりだ。
今日も早く帰ってソフィアの可愛い姿を見られそうだ。
俺は視線を戻し、店主に口を開こうとした。
その時だった。
「わぁ。ラファエル様? ラファエル様ですよね?」
女に後ろから話しかけられたのは。
………なんだ、この女。
この店の暗黙のルールを知らないのか?
そう思ったのは俺だけではなかったようだ。
俺の両隣の客が後ろを振り向き、鋭い視線を向けたのが分かった。
目の前の店主も。
「ずっと会いたかったんです!」
そう言って腕に抱きつかれた。
途端にぞわっと体中に悪寒が広がった。
ソフィアと婚約してから、異性に触れられたことなどない。
好きじゃない相手だと、体も拒否するのだと初めて知った。
「………離せ」
「私とお話ししましょう? それとも場所移動しましょうか?」
ぐぃっと腕に胸元を押しつけられる。
聞こえなかったのか?
離せと言ったのに。
睨み付けるように女を見た。
そして俺は数秒、固まった。
………アマリリス・エイブラム?
見下ろした女の顔は、確かにサンチェス国でソフィアに暴言を吐いていた令嬢だ。
何故ここにいる。
サンチェス国で裁かれている最中ではなかったのか?
思考に囚われ、俺は次の女の言葉を聞き逃しそうになった。
決して聞き流してはいけない、俺にとっては唯一無二の存在を侮辱する言葉を。
「ラファエル様は大変ですよね! あんな無能王女の婚約者になってしまって。民に自分は優秀だという誤報を流して優越感に浸り、王宮で贅沢している女に困っておられるのでしょう?」
「………」
「ホント、困った王女ですよね。ラファエル様の苦労がよく分かりますわ。我が儘を言われているのでしょう? ですからここに息抜きに来てらっしゃるのですよね?」
「………」
「愛しているフリをしないと、あの女の気が変わって、援助受けられないかも知れませんものね…」
「………フリ?」
「王女はラファエル様を利用しているのですわ。愛されていると勘違いしてラファエル様をお放しにならないのでしょう?」
「………はぁ…」
言いたい放題だな。
俺の怒気に気づかず、勝手な解釈で店中に響くように話しやがって。
「私はラファエル様の満足する事をしてさし上げられますわ」
「………俺が満足すること、だと?」
「はい!」
俺の睨みつける視線に気づいていないのか、気づかないふりをしているのか。
ちなみに俺の周りに座っていた客連中は、俺の殺気を察知して遠のいている。
「じゃあ今すぐ俺の女、連れてこい」
「………え?」
「俺は今すぐ俺の愛している女に会いたいんだ。今すぐ連れてこい」
「そ、れは………」
女の腕の力が弱まり、俺は素早く自分の腕を抜いて席を立った。
そして離れる。
「店主。布くれ。出来れば濡らしている方が良い」
「………はいよ」
俺は掴まれていた腕を布で拭って、店主に返す。
「腕が気持ち悪ぃ。何をしている。さっさと俺の婚約者連れてこいよ」
突っ立っている女に俺は本来の性格を隠さず、言い放った。
「俺が満足することをすると言ったのはお前だろ。早くしろよ」
「っ…」
女がビクッと体を揺らす。
「警備が厳重な王宮に堂々と入り、俺の婚約者を連れ出す許可貰い、ここまで傷一つ付けずに連れてこれるからこそお前は言ったんだろ」
「そ、んな…」
女は漸く気づいたようだった。
俺が怒っていることを。
「俺が愛しているのはこの世でたった一人。ソフィア・サンチェスだけだ! その大事なソフィアを悪く言うヤツは許さない! 衛兵!」
俺の視察についてきて、店の外に待たせていた騎士達を呼ぶ。
すぐに入ってきて俺を囲む。
「ランドルフ国王太子の婚約者を侮辱した女だ。拘束して牢に繋げろ」
「はっ!」
「そしてルイスに報告しろ。サンチェス国での罪人が脱獄してきている、とな」
「はっ!」
騎士を2人残して、残りは女を連れて行った。
「ラファエル様」
「騒がせた。また来る」
「分かった」
今日の仕事の予定が全て狂った。
今日も起きているソフィアに今日中に会えることがないことを悟り、大きく息を吐いた。




