第51話 距離の取り方
「姫。婚約者様が戻ってきますよ」
天井からの冷静な声が聞こえ、ハッとする。
急いで目元を拭い、ソファーに座り直す。
………大丈夫。
私は、ソフィア・サンチェス。
サンチェス国王女で、ラファエルの婚約者。
日本人の私の感情は、隠せる――
「ちゃんと座っているようだね」
ノックせず入ってくラファエルは、いつも通りだった。
少しホッとした。
彼の怒りは今はおさまっているようだった。
「あ……お帰りなさい」
「うん。技術班が興奮して、早急に開発するって意気込んでたよ」
「そっか」
良かった。
普通に話せている。
「ごめんね」
「………ぇ?」
「さっき、ソフィアに怒ったから」
「ぁ……だ、大丈夫だよ。も、元々私が……悪かったんだし……」
………ダメだ。
罪悪感で、視線を反らしてしまった。
「言いたくないことを聞こうとした俺も悪い。言えないことを聞いたんだ。誤魔化そうとして嘘つくようにしたのは俺のせいでもある。だから、ソフィア」
ラファエルが私の頬に触れた。
「俺から遠ざからないでくれ」
「………ラファエル?」
「言わなくて良い。だから、俺の傍にいて。離れないでくれ。ソフィアは本来、俺の隣にいてくれるだけでいい立場で、提案してくれる事自体が奇跡のような事なのに。俺はお前を責めた」
「私は、ラファエルの役に立ちたいから提案した。その事が民を思うラファエルの欲を大きくしただけ。王族なら当然のことだよ。だから、貪欲に私のアイデアを奪えばいい」
「ソフィア…」
………言い切ったことで、私の心は決まったんだと思う。
役立つことなら何の躊躇も無く渡せばいい。
もう、私の故郷はここで、日本じゃない。
日本の事をこの世界でやっても、誰に咎められることは無い。
私が転生者で前世の記憶があることだけ、悟られなければ。
………言っても、信じて貰えないだろうし……
心が決まれば何故あれほど悩んだのか、不思議に思う。
「これからも思いついたら言う。実行できるならしたらいい。ラファエルは間違っていなかった。民のために――」
「違う!」
ラファエルに遮られ、私は目を見開いた。
「そんな事を言ってるんじゃない! 俺は、ソフィアが泣くことだけは避けたいんだ!」
「………」
「俺が言った言葉がソフィアを傷つけたんだ! ソフィアの目が赤くなる事だけは避けたかったのに…」
「………ぁ」
ラファエルが私の目元を親指で撫でた。
「嘘はつかれたくない。でも、話せないことはキッパリ言って欲しいんだ……俺はソフィアの事をあまりにも知らないと思う。今回の件でそう思った。ソフィアが良いと思っていること、触れられたくないこと、それを知りたいんだ。ソフィアとの距離感を知りたい」
「………距離感……」
「勿論、俺はソフィアの全てが欲しい。でもそれは不可能だって分かってるけど、極力ソフィアに近づきたいんだ」
「………ラファエル……」
………私は、バカなのだろうか。
いや、バカなんだ。
ラファエルはただ私のことが知りたいだけなのに。
私はいろんな理屈で正当化しようとして……
………足りないんだ。
圧倒的に、私とラファエルの個人的な会話が。
私自身とラファエル自身。
どっちも王族という前に、一人の男女。
唯一の婚約者。
大切なのは相手を想うこと。
相手のことを知りたいというのは普通のことだ。
「………ラファエル」
「なに?」
「私も、ラファエルの事知りたい。さっき、ラファエルの事一つ知れた。泣いちゃったのは自分の不甲斐なさからだから、ラファエルのせいじゃない。気に病まないで」
「ソフィア……」
私が知っているラファエルは、嫉妬深くて、料理上手で、国思いで、嘘が嫌いな人、というぐらい。
食べ物は何が好きで何が嫌いか、そんな事も知らない。
そして私もそんな事、ラファエルに教えたことは無い。
王子と王女の付き合いだけをしている人も当然いる。
けれど、私はラファエルが好きで、ラファエルも私が好きで……
上辺だけで付き合おうとか、思ってなかったのに。
私達は互いに、個人的な付き合いが出来ない人間だった。
「教えてくれる? ラファエルの事。いっぱい」
「うん。教える。だからソフィアも言えることは言って。距離を取ろうとか、思わないで欲しい」
「………分かった」
私はラファエルに腕を伸ばした。
けれどラファエルはキョトンと首を傾げる。
………こ、これでも勇気出したんだけど……
意図は通じませんでした……
「ら、ラファエルに、抱きしめて、欲しい、な……って……」
カァッと自分の顔が赤くなる。
と、同時にラファエルの顔がぱぁっと笑顔になった。
「喜んで!」
ガバッとラファエルに抱きしめられ、私は自分から初めて、抱きしめ返したのだった。




