第03話 彼は完璧ではありませんでした
ラファエル・ランドルフから急に婚約話を持ちかけられ、あっという間に私の身はサンチェス国からランドルフ国へ運ばれました。
パーティの翌日に婚約書類にサインをし、そのまま身一つで行けと王と王妃に言われ、ラファエルと共に国を出て彼の国に。
自分のお気に入りだった本や、小物が何一つない。
ラファエルの婚約者用と用意された部屋に押し込められた私は、何もすることがなくボーッとソファーに座っているしかなかった。
って、なんでこんな事に…
婚約したからって言っても、準備もさせずに強引に連れてくるなんて。
確かにランドルフ国の気候に私の持っている服は適してないから、持ってきても仕方ないのは分かる。
でもそれ以外の物も持たせず、身一つなのは可笑しい。
彼がパーティが終われば国に帰るのは分かるけど、準備する時間ぐらいはあったはず。
なのに何故…
それに婚約期間は二年あるはず。
私が18になるまでの期間。
全ての期間をラファエルと過ごす必要はない。
最初は文通でも良いのだから。
「………はぁ……」
思わず出たため息。
「退屈ですか」
てっきり一人で居ると思っていた部屋に、別の声がする。
慌てて顔を上げると、部屋の扉の所にラファエルが立っていた。
ため息を聞かれたのだと、慌てて立ち上がる。
「す、すみません。これは…」
「構いません。強引に連れてきたあげく、娯楽と呼べる物は何一つ置いてませんから」
そう言って彼は手に持っていた数冊の本を、私に差し出してきた。
反射的に受け取ると、彼が笑う。
「学園で貴女が読んでいた本の同種です。これで少しは退屈が凌げるかと」
「………私が学園で読んでいた…?」
確かに私はよく図書室に行っていたけれど…
ラファエルと会ったことはない……よね?
「やはり覚えていないんですね。まぁ、無理もありませんが」
「す、すみません…」
彼は学園の私を知っていた。
接点はなかったはずなのに、会っていたのだと分かる言葉。
なんで覚えていないんだ私。
こんなイケメン覚えてないって、今まで私何してたんだろ。
「当然ですよ。私は貴女と話したことはないんですから」
「………ぇ」
「図書室で本を読んでいた貴女を、眺めていただけなんです」
「眺め……」
………ええ!?
私は言っておくけど美人じゃない。
王妃の美しさを貰えなかったから。
私は王似で、彫りが深く美人にも可愛いにも入らない女。
そんな私を眺めてたって……あり得ないんだけど!
「覚えてますか? 学園で貴女は諍いを起こしていた男子生徒の頬を叩いたのを」
「叩いた……」
記憶を探っていくと、確かにそんな事をした覚えがある。
男子生徒二人が一人の女を奪い合っていて。
まぁ、女というのはあのアマリリスで、二人の男は確か学者志望と騎士志望の男だったと思う。
学園の廊下で言い争い、野次馬が出来ていた。
自分の方がアマリリスを愛しているだの、守れるのは自分だの、くだらない争いしてた。
彼ら二人は侯爵家と伯爵家だったはず。
他の生徒は割って入ることも出来ず、更に一緒に居たローズには仲裁して欲しくなかった。
何よりローズより私の方が階級は上。
必然的に私が仲裁する羽目になった。
女一人にそんなかっこ悪い争いするなと。
決めるのは彼女であり、男同士が争っても意味はない。
そんな類いのことを説いたが、逆上している男に通じるはずもなく。
手を出されそうになった時に思わず反射的に頬を殴ったのだ。
『いくら頭に血が上っているからと言って、王家の人間に手を出すとはどういうことになるのか、分かっているのでしょうね』
『!! そ、ソフィア様!?』
『今頃気づいたのですか。いくら感情的になったとしても、どんな理由があろうとも、女性に手を上げるなんて男の風上にも置けません。他国の留学生も受け入れているこの学園で、こんなくだらない争いを起こす貴族がいるなど、我が国の恥です!』
『お、お待ち下さい!』
『何を待つのです。騒ぎの発端から全て、ここに居る者達が証人となりましょう。学園での諍いに王家は関われませんが、私に手を上げたことは事実。私には貴方達を処罰する権利があります。よって、二人に停学処分を言い渡します』
『!!』
二人の顔が真っ青になった。
貴族が停学処分を受けるということは、今後の跡目を継げなくなる可能性がある。
学園の評価はそのままその人の評価となり、兄弟が居る場合彼らは相続争いから除外され、財産分与にも影響がある。
けれど自業自得だ。
嫌なら自分の感情を制御すれば良かっただけの話。
『………エイブラム男爵令嬢。貴女も貴女です。誰にでも気があると思われる行動は慎むべきでしょう。以後気をつけるように』
『私はただ、仲良くしていただけなのに……それに、貴女…どなたですか?』
ザワッと野次馬が騒ぎ出す。
私は顔は良くないが、この学園では顔が知られていて、名前も勿論知られている。
私も下手なことが出来ない立場で、常に気をつけてきた。
って、そんな事は今はいい。
この女は男爵令嬢にも関わらず、王女を知らないらしい。
今思えばここは乙女ゲームの世界であり、彼女が主人公で私はモブ。
知らないのも当然なのかもしれない。
でも、ここは現実で、私もその時は乙女ゲームと知らなかった。
だから…
『自分の上に立つ者の顔も名前も知らぬなど、この国の貴族の教育はどうなっているのですか』
と思わず怒鳴ってしまった。
周りの野次馬が2・3歩下がっていく。
アマリリスを軽蔑したような目で見ながら。
彼女と同じと思われたくなかったのだろう。
『え………』
アマリリスは周りの空気が可笑しいことは分かるらしく、困惑しているようだった。
『まぁ知らぬなら教えて差し上げます。私はソフィア・サンチェス。この国の第一王女であり、今は貴女と同じ学園で学ぶ――クラスメイトですわ』
教育係に仕込まれている、最高位の威厳ある立ち姿で言ってやった。
人を見下すような体勢は嫌なのだが、この時は当然と思っていた。
アマリリスの目が見開かれるのを横目で見、視線を反らした。
『この場に居る者は良く頭に叩き込んでおきなさい! サンチェス国王家は、つまらない言い争いを許しては居ません! トラブルを起こした者は、容赦なく処分します。いいですか? 貴族は勿論、平民の出の者もここでは平等です。けれど自分の本来の立場を決して忘れぬよう。我が物顔で人を思うようにしようなどと許しません。我が王家が常に周りを見ていることを、忘れぬように』
今思えば偉そうなことを言ったなぁと思う。
いや、私は王女なのだから言って良いのだけれど…
前世を思い出した私には過ぎた言葉だと思う。
「あの時から私は貴女を見ていました」
「………ぇ…」
自分で言っては何だけれど、あれで気に入られるとは思えない。
「本当に貴女は自分の立場を忘れない人なのかを」
「………」
あ、そっち……と納得した。
ランドルフ国の同盟国として、王族を見定めていたのだろう。
これからも同盟を結んでいていいのか、と。
まぁ、ラファエルはあのレオナルドと同学年だ。
頭の悪い彼を見て将来の不安があったのだろう。
「ですから悪いと思いながら貴女を見させて頂いておりました」
「婚約話をお持ちになったのですから、合格したのでしょうか」
「ええ。確信を得たのは、あのパーティで容赦なく兄を処分した貴女を見て、ですが」
「そうですか」
いや、良かった。
これで愛があると言われたら疑ってしまっただろう。
ラファエルと結婚できれば、少なくとも私が死ぬまでは同盟の継続は維持できそうだ。
まぁ、あの第二王子が何かやらかさない限り、だけれども。
「お聞きして宜しいでしょうか」
「何でしょう?」
「何故早急に私をこちらへ連れてきたのでしょう? 婚約してから結婚にはまだ長い期間があるはずですが」
「っ……」
私の言葉に、ラファエルが詰まる。
心持ち頬が赤くなったような……
………
………………
………………………ぇ
ついっと視線を反らされる。
………まさか…
いやいやいや、ないない。
彼が私を好きだなんて事ないない。
ソフィア、勘違いしないのよ!
絶対ないから!
期待して違うと分かって落ち込むのは王道の王道。
乙女ゲームの落とし穴!
「そ、れは…」
「はい」
「………」
言葉が止まる。
そんなに言い辛いことなのだろうか?
私に王族としての行動が出来るか見ていたということは、こちらの王宮で何か起こっているのだろうか。
それをなんとかしたくて私を呼んだ?
でも、私こっちのしきたりよく知らないし…同じだったら対処のしようもあると思うけど…
新参者の私がとやかく言って良いものか分からないし…
「………――きなんです」
「あ、すみません、聞き取れなくて……もう一度お願いできますか?」
聞き返すと、ラファエルの顔が真っ赤になった。
………え?
いや、まさか……
「~~~っ……す、好きなんです。貴女のこと」
「………はぃ…?」
そのまさか!?
いや、可笑しい!
これは罠だ!
きっとそうに違いない!
この言葉に照れた私を陰からのカメラが――って、ここ異世界だ。
カメラなんてない。
だとすればデバガメがドアの隙間から………ってドアはしっかり閉まってる。
………ぇぇ~……じゃあ何…
「………」
外していた視線をラファエルに戻すと、ジッと私を見つめていた。
あの赤い顔で。
こ、これは……
まさかの返事待ち、なのだろうか…
婚約したのだから断れないのは分かってるけど…
好きかどうかって…まだ判断するほど接点ないし…
イケメンだからってOKするのは前世の私。
今の私は裏があると疑ってしまう女で…
「えっと……」
「私の事、なんとも思っていないことは分かっていますよ」
返事に困っている私に気を遣っているのだろうか。
返事はいらないという風にラファエルは心なし早口で喋る。
「婚約して下さっただけで充分です。ただ、私の気持ちを優先させ、貴女との時間を持ちたく強引に連れてきてしまったのは、お詫びします」
謝っている相手にどうこう言うことはないけれど、本当にそんな理由で私は連れてこられたのだろうか。
だとしたら、私ここで愛される幸せを得られるのではないだろうか、と思ってしまう。
言ってはなんだけど、サンチェス家は冷酷の部類に入る。
家族の愛情より、国益を優先させる。
王家なのだから仕方がない。
でも、王や王妃に抱きしめられたことさえない。
だから私はこの世界の温もりを知らない。
温もりに触れたのは、彼の手を取った時が初めてだった。
人に触れたことはある。
ダンスだって練習するのに触れる必要があるし。
でも、冷たかった。
この国に、王家に、人の体温というものがあるのだろうかと、前世を思い出してから思った。
だから彼の手に触れた時、ホッとした。
安心した。
私は生きているのだと。
………彼が教えてくれたのだ。
少なくとも、私は彼が嫌いじゃない。
だから…
私は彼の手に触れた。
「ぇ………」
ラファエルが目を見開く。
それを尻目に私は彼の体温を感じる。
「驚きましたけど、気持ちは嬉しいです」
「ソフィア様…」
「ソフィア、とお呼び下さい。婚約期間ですが、恋人期間にしませんか?」
「恋人期間、ですか?」
「私にはラファエル様との思い出があのダンスしかないのです。ですからラファエル様の事を教えて下さいませんか? 私も結婚するのなら、ラファエル様を愛してからしたいのです」
微笑みながら言うと、私は次の瞬間ラファエルに抱きしめられていた。
人に抱きしめられたのはこれが初めてになる。
温かい、と。
心地よかった。
これなら彼を好きになるのはそう遠くないのではないか。
そう思った。
完璧な人なのだろうと思っていた。
でも私の言葉一つに震える体は、とてもそうだと思えない。
彼も一人の少年なのだと、初めて思った。