第230話 思いとは裏腹に⑪
「………ぇ」
私は初めてラファエルの執務室に入室した。
執務室って大体正面の窓の手前に机と椅子があり、中央に少し大きめの机と椅子かソファーが2~4脚あるだけってイメージだった。
そして机の上に書類が少し乗ってるぐらいで……
けれど、机の上には今にも倒れそうなほどの書類が積み上げられ、そして机の周りにはこれでもかと言うほどに本や巻物のような書物が積み上げられてて…
………自室とそう変わらないはずの広さの執務室が……
「ごめんね。今少し片付けるから」
足の踏み場は何処? って言いたいぐらいに埋め尽くされていた。
私の顔色が悪くなっていくのが自分で分かった。
………私は、こんなラファエルに我が儘を言っていた…
慣れた風に片付けを始めるラファエルと、手伝うライトを視界に入れつつも動けなかった。
手前にある机とソファーの上にも積み上げられていた物が綺麗になった頃、漸く私の思考が追いついてきた。
手伝わなきゃいけなかったのに…
「 」
ラファエルがライトに何か耳打ちし、ライトが頷き出て行った。
………すっかりライトはラファエルの影みたいになってしまってる…
やっぱり私が不甲斐ない主だから、かな……
「お待たせソフィア。お座り」
「………うん」
ラファエルがソファーを指し、私を招く。
大人しくソファーに座ってラファエルを見上げると、ラファエルは執務机の方に向かっていた。
「ごめんね、今お茶持ってくるように伝えてるから、届くまで仕事片すよ」
「あ……う、ん」
ラファエルが机の上の書類に目を通しながら何かを書いていく。
短いから、多分サインなのだろう。
その動きを少し見た後、私は改めて執務室を眺める。
ランドルフ国の王族の贅沢の象徴である金の壁に囲まれているこの部屋は、居心地が悪い。
………ラファエルも落ち着かないだろうな…
声をかけたかったけれど、ただでさえ仕事の邪魔をしている私だから、今声をかけるのは違うと思う。
お茶が来たら一緒に飲んでくれるだろうから、その時話そう。
「失礼します。お茶をお持ちしました」
「………え!? ライトが!?」
執務室の扉が開き、お茶を運んできたのはライトだった。
ビックリしていると、ライトは私の正面の机の上にお茶とお菓子の準備を始めた。
え……何が起こって……
お茶って侍女が用意する物よね…?
何がどうなってライトが運ぶことに…
「すまないなライト」
「いえ、こんな状態ですから」
「ん。後は自分でやる」
「やらせませんよ。王太子という自覚はあるんですか」
「あるけど…甘味作ったら一緒に煎れて食べるし飲む」
「………ぁぁ…」
「ライト、半目になるの止めて」
ラファエルが苦笑して私の正面に座る。
ライトがお茶を煎れて待機しようとする。
「ライト」
私は上を指差した。
暫くライトはジッと私を見つめたけれど、はぁっとため息をついて天井へと消えていった。
………ため息つくな!
「………で、ソフィア。どうしたの。執務室に来るなんて」
「………ぁ……」
そうだった。
私はラファエルを見て、そして頭を下げた。
「ごめんなさい」
「………どうしたの? ソフィアが謝る事なんて」
「あるよ!」
ガバッと顔を上げてラファエルを見つめる。
「サンチェス国でラファエルの気持ち考えてなくてごめんなさい! ラファエルの気持ちに応えてなくてごめんなさい! 好き勝手させてもらってたのに、ラファエルに怒ってごめんなさい!」
「………」
「私は、ラファエルが好きだから!」
「………!」
「だから、ちゃんと…ラファエル、と……」
あ、れ……
頬を何かが流れていく。
………やだ……泣くつもりなんてなかったのに…
私が悪いことしたんだから、泣いて許しを請うみたいになってはダメなのに…
「っ………ちゃ、ちゃんとラファエルの気持ちに、今度から応えられるようにするから……言葉に出来るようにするから……嫌わないで……」
「嫌う?」
「だ、だって……ラファエル、顔を見せに来てもくれなくなったし、一緒に寝てくれてないし、出かけてくれないし」
「………それ、君は嫌がってたでしょ」
「え……」
嫌がるって…?
どういう事…?
「サンチェス国で改めて君を知れて良かったよ。むしろ俺が嫌がられていた側だ。こっちで外出もさせない男は心が狭くて嫌だっただろう。だからこそのサンチェス国での行動だ。これ以上君に嫌われたくないし、政略結婚でもせめて君にだけは不自由させちゃダメだし」
「………な、んで……」
「俺に従わなくていいよ。君は自由にしていいんだ。俺に縛られなくていい。好きなところに行っていいよ」
ラファエルの瞳が濁っていた。
………ぁぁ……私は……なんて事を……
顔を見ればある程度察せる、なんてラファエルの言葉を過大評価していたようだ。
私の言葉を聞きたがっていたなんて気付かなかった。
ただ察せるだろうと、言葉を発するのを……恥ずかしがっていた事が今の状態を作り出した。
改めて、自分の非道さを知ってしまった。
「無理に俺の伴侶としての仕事を身につけなくていいよ」
「!!」
「さっきは騎士達がいる場だったからああ言ったけれど、君は――」
「馬鹿にしないで!!」
ラファエルの言葉を遮ってしまった。
でも、どうしてもその先は聞きたくなかった。
「私はラファエルの伴侶なの! 王になるラファエルの隣に立つべき女なの! ラファエルの隣にいても恥ずかしくない女になるの! 間違った行動したらラファエルが怒るのは当然なの! それを曖昧にして私を甘やかさないで!!」
「………何を言ってるの?」
「それに、どうして怒ってくれないの! どうして前みたいに俺以外の男といるなって言ってくれないの!? どうしてラファエル以外の男の人と出かけないといけないの!?」
「………落ち着いて。君は――」
「私は“君”って名前じゃない!!」
ガタンとソファーから立ち上がって、机の上にはしたなく膝を乗せ、ラファエルの胸ぐらを掴む。
「私はソフィア・サンチェスで、将来ソフィア・サンチェス・ランドルフになるラファエルの生涯の伴侶だよ!」
「………」
「ラファエルが大好きだもん! 私が出かけたいのはラファエルとだけであって、他の人はどうでもいいんだよ!!」
「………どう……」
ヒクッとラファエルが頬を引きつらせたけれど、私の口は止まらなかった。
ラファエルの胸元に顔を埋める。
「確かに私はラファエルに気持ちを伝えられてなかった。そこは本当に反省してるよ! でも、私の気持ちがラファエルにないだなんて勝手に思わないでよ! 無理させてるなんて勝手に思い込まないで!!」
「!」
「勝手に政略だなんて思わないで! 私は抱きしめられるのも、キスもラファエルじゃなきゃ嫌! 生涯ラファエルだけなんだから! 思い込んで私から離れていかないでよ!! ラファエルが傍にいないだけで寂しいし辛いんだから!!」
「………ソフィア……」
「それにラファエルとの子供は、私とラファエルの愛の結晶なんだから!! 冷たい政略結婚の義務なんかじゃない!! 愛されて生まれてくるんだから!! ラファエルもちゃんと私の気持ちを知って、そのつもりでいてもらわないと困る!! だって、私以上にラファエルを好いている女はいないんだから!! ラファエルに近づく女は排除したいぐらいだもの!! ラファエルだけが嫉妬してるなんて思わないでよね! 私以外見たら許さないんだから!!」
はぁはぁと乱れた息を整える為、言葉が止まる。
その間ラファエルの相づちがなかった。
恐る恐る顔を上げてみる…
「………」
「………」
ラファエルは顔を反らして手で口元を覆っていた。
その顔は真っ赤になっている。
………ぇ……なん、で……
私は直前の言葉を思い出す。
同時に自分の顔が熱くなっていくのを感じた。
“私とラファエルの愛の結晶”
“私以上にラファエルを好いている女はいない”
“私以外見たら許さない”
………
………………
………………………なんっって事を叫んだんだ私ーー!!
あ、あああああ穴があったら入りたい!!
そして一生埋まっていたい!!
「ら、ラファエル! あ、あの!!」
「分かってる! 分かってるから、ちょ、黙って!!」
2人して更に顔を赤くするという何とも気まずい空気になってしまった。
………私のばかぁぁぁぁあああ!!!!
もう一度ラファエルの胸元に顔を埋めることになったけれど、今度はラファエルが遠慮がちに私の背に手を回してくれた。
「………ソフィア以外の女見たらダメなの?」
「………っ……ん。ダメ」
「仕事でも?」
「………視線外してたら……まぁ……いいけど…」
「交渉で視線外すのはなぁ…」
くすくすと笑うラファエルの声は、いつも通りで…
私はホッとする。
………ぁぁ……ラファエルだ…
「………大丈夫。俺はソフィア以外愛さないし、これからもそれは変わらない」
「………ホント?」
「ん。ホント」
「………わ、たしもだから、ね…」
「ん?」
「私も、生涯ラファエルだけ、愛し、てる……から……」
顔が真っ赤だろうけど、ラファエルをちゃんと見上げて言った。
ラファエルは私を見下ろし、そしてフッと柔らかく笑う。
その表情に私は涙をまた流してしまった。
優しいあの笑顔が私の目の前に…ある……
ラファエルが私の頭を自分の胸元に寄せ、すりっと頭に頬擦りし、私はそっとそのまま目を閉じた。




